記録

2019年1月6日 日常 コメント (1)
就職した。結婚した。引っ越した。
お久しぶりです。元気にやっています。
元気とは言っても、古い映画(フォレストガンプ)を観てデートをして勉強が捗らず、というしょうもない日曜日を過ごしてるあたり、うーんという感じだけど。


大学を卒業して一人暮らしを始めたら、体重が1週間に0.8kgぐらいのペースで減ってます。明らかに食生活が間違ってる気がする。

色々生活環境は変わったけど、やっぱり将来のことについて悶々と考えています。

本当は医療従事者が疲弊しきらない脳卒中センターを作れたらと思うものの、人やお金はどうやって集めるのとか、そもそも脳外科なのか神経内科なのか麻酔/集中医療なのか、それとも公衆衛生とかアカデミックなところからアプローチすべきなのか、はたまた厚労官僚とかコンサルタントになるべきなのか、そんなこと考えてるけどそれ以前にそこそこ食っていけるにはどうしたらいいのかとか、留学先にインパクトを与えられるような留学がしたい、そのコネをどこでつかんで能力をどうやって磨いてとか、そんな雑多なことを。




今年で25歳になったけど、まだまだ成長できるのは嬉しいことで。
今週も頑張りましょう。

へり

2013年10月9日 読書
下りについて

久々の将棋

2013年8月28日 読書
村山聖の自伝を読んだのをきっかけに、久々に将棋の動画を見たり簡単な定石の本を読んだりして、久しぶりに将棋を楽しんでいる。

参考:伝説の5二銀
http://www.youtube.com/watch?v=edMVvE38C34

(時間があったら読めるかもしれないが、早指しでこれは天才的としか言いようがない…)

同世代が3段リーグから脱落するような年齢になって学んだのは、先手の戦術(3七銀とか)、後手の戦術(ゴキゲン中飛車とか)があり、そこで作戦勝ち(序盤、中盤の駒組みで勝負がほぼ決まる状態)まで持っていけなければ先手後手が基本的には終盤力という共通の力が問われるフィールドへ移行することである。

ほぼ同じような状況においてもわずか1手の速さという小さな違いで戦術が変わるような状況は現実にもあるだろうし、多くの場合はもっと差が開いて強者の戦術と弱者の戦術が明確に存在する。しかし、作戦勝ちとならなければ、両者とも同じ力で戦うことになる。どこか、身につまされる話ではないか。身に詰まされる、ではなく。

最後の夏休み

2013年7月23日 読書
学生として迎える最後の夏、イコール最後の夏休みである。
小学校から18年も学生だった。博士号を取りに大学院に入る可能性は高いが。


大学だけにしぼっても色々やってきたつもりだったが、まだまだやり足りないことはある。本をもっと読めば良かった。深夜特急のような旅行に価値を見出す段階ではないし、ダイビングは今後の人生でも行けるだろう。
そこで対策を考えた。

<予防>
部屋を整頓して隠れる隙間をなくす。
掃除をして水分、食物を徹底的に取り除く。
冬場にすみずみまで空気を通しておく。
ブラックキャップ設置。

<遭遇時>
部屋の奥側から入り口へフマキラーで誘導して追い出す。
フマキラーで直接噴射。



出たのが成虫か幼虫で対応は異なるけれど。

ちなみに家屋で遭遇することが最も多いのはクロゴキブリで、路上とか飲食店ではチャバネゴキブリと遭遇することもある。クロゴキブリは26−28個の卵を塊にして生み落とす。

匡虎

2013年6月2日 読書
大学オケのエキストラで呼ばれて行って得られる最大のものは、若さ(変な意味ではなく)であり、若い時の体験のかけがえのなさという認識である。

その時しか出来ないことをやらなくても、その時は分からない。あとになってから大切さを知ることになる。

魔改造2

2013年5月26日 読書

魔改造

2013年5月24日 読書
この曲が
http://www.youtube.com/watch?v=xNzzF0M5hB0

こんな風になったり
http://www.youtube.com/watch?v=l6P54YocHLo





この曲が
http://www.youtube.com/watch?v=J5jm7tLOPTE

こんな風になったり
http://www.youtube.com/watch?v=PpU6jOgCoGg




概してきもい。
けど、謎の高揚感がある。

晩鐘

2013年5月19日 読書
晩鐘
ミレーJean-François Milletの「晩鐘L’Angélus」が好きだ。
ラヴェルJoseph-Maurice Ravelの「クープランの墓Le Tombeau de Couperin」が好きだ。
https://www.youtube.com/watch?v=fDDzxRpdtmE



きっと、彼の国の土の中には、何かが埋まっているのであろう。
特称命題を全称命題取り違えることによって大きな誤解をしていることは、存外に多いのではないか。
つまり、「ある○○は××だ」を「すべての○○は××だ」としてしまう誤りである。
しかも、それを自覚せずに終ってしまうことが結構多いようだ。

たちが悪いのが、言っている側もインパクトを高めようとするあまり、解釈によっては取り違えうる形で見出しをつけてしまうケースである。「がんは抗がん剤で治らない」とか。見出しだけでは全称で解釈されてしまう恐れがあるというレベルでは既になく、積極的に全称命題だと思われそうだ。

では、そんな情報が溢れかえる中でどうしたらよいのか。
それには全称命題のようなケースでもいちいち個別具体的に検討していくしかない。
反証するだけでは建設的な議論にはならないが、反証可能性が開かれていない議論には価値がない。だから、いちいち考える。

日曜日

2013年5月12日 読書
朝しっかり起きて、午前中は四重奏の合わせをやって、そのままみんなでだらだらお昼ご飯を食べて、必要な買い物を手早く揃えてからバイトしに行って、必要な郵便物を仕上げて家族でそろってご飯を食べて、という充実した休みを過ごした。

今取り組んでいるハイドンは、森の奥にある澄みきった井戸のように静謐な世界が広がっていてとても面白い。にごりが出てくるとそれが非常にはっきりと見える。


今やっている曲ではないけれど、「時計」の一楽章がそのイメージによく合致するかもしれない。
http://www.youtube.com/watch?v=LvlAc9AGiqQ

GW

2013年5月7日 読書
「GWってゴルフウィークだろ!?」

とか言いながらゴルフ⛳なんかに行っているような休みだったら良かったものの、日比谷公園に行ってきたり、病院見学に行ってきたり、溜まっていた新書を何冊か読んだりと、要するにとりたてて実りはないものの蝸牛の歩みで物事を右から左に流したかのような休みであった。




艱難辛苦汝を球にす (Adversity makes a man; 西洋のことわざ)

人は時に、健気に生きてるだけで、誰かを救っていることがある。(東野圭吾「容疑者Xの献身」)

浪費癖

2013年5月3日 読書
「アメリカの純資産1億以上の世帯のデータを集めたところ、彼らは適切な支出の管理や投資を行っている」といったことをThomas Stanleyが「となりの億万長者」など著書数冊の中で述べている。およそ20年前のことである。

日本では、支出の管理ということに関して、吉本佳生は今年の新刊「日本の景気は賃金が決める」の中で、日本の世帯を所得別にグループ化すると所得が一番多いグループから少ないグループに行くにつれて限界消費性向が上昇していることを示している。平均消費性向についても同じである。つまり、所得のうち消費に回る割合は所得が低ければ低いほど高いし、生活に必要な出費を除いた額で比較してもそのような傾向にあるらしい。

この二つのことから、「お金持ちはお金を貯めるゆえにお金持ちで、貧乏人はお金を浪費するゆえに貧乏人である」といった普遍的な事実があるのかもしれない。
とすると、社会全体ではお金をたくさん使ってくれなければ経済は回転しないが、個人のレベルではお金をなるべく貯蓄した方がよいということになる。これは一筋縄でいかない問題である。

朝青龍論壇

2013年5月1日 読書
相手の相撲をどっしりと受け止めて勝つ横綱相撲と違って、超速攻で自分の得意な体勢に持ち込んで勝つ、という相撲をした横綱がかつていた。朝青龍である。

それは伝統を重視するむきからは非難されたそうなのだが、相撲以外の趨勢もそのようなあり方になってきているように思える。たとえば、相手の言論をどっしりと受け止めて一つ一つの論点を撃破して議論をすすめる知識人よりも、超速攻で自分の得意なテーマに持ち込む重鎮論客も多くなってきたのではないだろうか。

それは、論のマナーの問題というよりは、インターネットの発達によって、より高速高効率で情報を収集することが出来るようになったためすべての局地戦で重鎮がリードすることが出来なくなったことや、ソーシャルメディア(特にtwitter)の発達により全方位から質問が飛んでくるようになったことがあるのではと考えられる。




もう5月である。五月場所ではどのような取り組みがみられるのだろうか(すっとぼけ)

Cyprien Katsaris

2013年4月30日 読書
http://www.youtube.com/watch?v=VWLGcHCFzxo

この人のBeethoven=Liszt、とても良い。


特に3番なんか原譜をさらに強化していて、4楽章とか凄まじいことになっている。本当にBeethoven好きなんだなぁ。
http://www.youtube.com/watch?v=UgdSR0N08fM


Beethovenの難聴に関しては、板をピアノと頭の間に置いていたなどのepisodeから伝音性難聴が疑われており、とくに耳硬化症ではないかと考えられている。
が、その一方、ワインの愛好家であったことと、遺髪と思われる毛髪から健常人の100倍の桁で濃度の高い鉛が検出されたことから鉛中毒もあったと考えられている。当時のワインは甘味料として、あるいはグラスの材料として鉛が使われていたのだ。鉛がワインにとけ込むことで、甘みを持つ酢酸鉛(CH3COO)2Pbが発生するということは、高校化学の参考書「化学I・IIの新研究」にも記載がある(鉛糖の項)。
しかし鉛中毒の場合、内耳障害による感音性難聴になることもあり難聴との関係は薄いかもしれない。しかし、遺髪を信じれば鉛中毒ということは確かなのでますます怪しい。混合性難聴か。

音楽史を研究している人がいたら、伝音性難聴と感音性難聴の鑑別に有用な「補充現象」と思しき所見があるか調べてほしいと思う。

埼玉からの使者

2013年4月29日 読書
高校生に大学受験勉強を教えるアルバイトが終ったあと、友達と池袋に飲みにいって、帰りに新しく出来たゲームセンターでちょっと遊んできた。

三連休の中日の夜9時のサンシャイン通りを、高校生ぐらいのカップルが池袋駅に向かって歩いていた。体を寄せ合って歩く後ろ姿の女の子の服の気合いの入り具合が絶妙で、頑張ったんだなぁ、デート楽しみだったんだろうなぁという感じが出ていて、ただただ胸にぐっときた。

別に自分が特別に幸せだとも不幸せだとも思わないとはいえ、おそらくあの何をしても幸せそうなころの輝きには及ばないのだなぁと、感慨深い気持ちになった。

外国人

2013年4月19日 読書
こないだの日経新聞の第一面ではでかでかと地下鉄24時間構想について書かれていたが、その記事の最後の方で、ちょろっと東京都が外国人医師の診察を進めていきたいようであるということが書かれていた。

これからの医師はほぼ三分化されるのではないかと思っている。それは、内科診断とフォローアップを主な仕事とする家庭医あるいは総合診療医(generalist)、臓器ごと病態ごとに専門治療を行う専門医(specialist)、そして経営者(manager)である。もちろん、現状でもそういった区分はあるのだけれど、その分化がさらに加速していくはずだ。ただもしかすると、経営が医者の仕事ではなくなるかもしれない。
今年4月の改訂では大病院の再診料が引き上げられたことなどから、厚労省としては小さな医院と大病院の棲み分けを明確にしていきたいようである。小さな医院にはgeneralistを配置し、大病院にspecialistが配置されることを想定していると考えられる。


さて、日経の外国人医師の診察だが、これはコモディティ化した安価な診療というよりは世界で出来る人が限られているspecialistの診療のことであると考えられる。とすると、今後、specialistは今以上に対世界の競争の中でやっていかなくてはならない。TPPを通して皆保険が揺るがされかねないということと共に今後注視したい。
specialistだった人がgeneralistとして開業することもよくある、というより新規開業の大部分がそのパターンだが、今後は生え抜きのgeneralistがどんどん育成されてくるものと考えられる。これからの時代のspecialistはちょっと大変かもしれない。しかし、診療を大きく変えるような発見の機会が多いのはおそらくspecialistである。うまくバランスを取って医療技術を革新できる環境が整備されることを望んでやまない。
走る人たちの中にもいろいろ適性があって、マラソンに夢中になる人もいれば110mハードルに青春を燃やす人もいる。
同じように文章の書き方にも長いものを書くべき人と、短いものが向いている人がいるようで、震災を機にツイッターを始めてもう少しで一年になるが、そろそろ自分の文章に対する適正をもういちど考えてみたい。


そもそも短い言葉で情報を伝えることほど難しいことはない。常に誤解される危険もはらんでいる。
このことについて言語表現の歴史をさかのぼってみると、もともとは詩、演劇、小説といったヒエラルキーがあったようである。

これはそのまま言葉の数が少ない順に並べたのと変わらないが、よりエッセンシャルで濃度の高い表現を、ヒエラルキーを降りるごとに分かりやすい形に書き下して流布している、というものの見方もできる。

現在では逆ですね。
短くなることによって流布している、というのはある種自然なことでしょう。だから詩とは本質的に違う、と断罪するのは実はちょっと違うような気がしていて、今でもネタクラスタが凝集されたスペースの中にネタを放り込んでいる。その営みはかつて詩人が占めていたそれに近いのでは。



話は変わるけど、質と量にかんしてはこんな話がある。




Art & Fear という芸術家向けの本の中に,こんなエピソードがある ― ある陶芸クラスでのこと,最初の授業において,教師は生徒をふたつのグループに分けた。一方のグループは作品の「量」によって評価を行うとし,もう一方のグループは作品の「質」によって評価を行うとした。

これはどういうことかというと,「量」グループの生徒たちは,提出した作品の量のみによって評価が下される。作品の総重量が50ポンドに達していたらA評価,40ポンド台ならB評価,というように。それに対して「質」グループの生徒たちは,たったひとつの最高の作品を提出すればいい。その作品の出来に対して評価が下される。

すべての授業が終わり,さて評価は,となったとき,少し奇妙な事実が判明した。提出された作品のうち,最も高い質を持つものは,すべて「量」グループから提出されたものだったのだ。




これは恐らく、何か一つでいいから突出したものを作るといったoutputかつ創造的な面を持った営みに対していえることで、例えばinputであったり総合評価だったりすると話はまた違ってくる。

文章を書くことについてもこの特徴は当てはまるのではないか・・・という考え方より、何か一つでいいから誰かしらの心に引っ掛かることを記録に残せたら、という考え方のもと、この量の説を採りたい。


ということで、だいたい2000字以下を目安に毎週何かしら書いていくことを課したいと思います。

なるべく、もうちょっとふざけた感じで・・・。

春休み

2012年2月20日 読書
今学期は追試がないのでもう春休みがきた。

とは言っても、3月中旬からまた学校なんですが。

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