驚愕の曠野―自選ホラー傑作集〈2〉
2004年5月16日 読書
ISBN:4101171424 文庫 筒井 康隆 新潮社 2002/10 ¥500
驚愕の曠野に限って話をすることにしよう。
非常に面白い。
何が面白いのかといえば、全体は従来の物語に反駁する、言わば反物語であるのに、部分部分では水滸伝や西遊記、さらには仏教の六道輪廻の思想を取り入れた、物語の集成となっているからである。
まず、この話は朗読という形で始まっており、朗読を介して物語を解釈するのだが、途中で朗読者の存在が物語世界へと取り込まれる、つまり、朗読している本の中の記述の一端として朗読者、言うなれば読者の分身が現れるのである。
従来物語というものは、読者という敷居からは物語世界を眺めるだけであったのだが、この驚愕の曠野では、読者を無理やり物語の中へ引きずり込んでしまうのである。真の意味で物語に没入させるのだ。
全部読むと、今まで断片的に与えられてきた情報が繋がって、この物語の世界を正面から認識することができる。死後の世界だとか、放射能で畸形化した虫だとか、SFの中では取り立てて珍しくない設定が、この物語では非常に面白く感じられる。
読者の分身である朗読者が物語に取り込まれるという話はこれが最初ではない。ミヒャエル・エンデの「果てしない物語」もそうである。だが、正反対とも言えるほどの違いがあるのだ。
果てしない物語では、本当の主人公、バスチアンが最後に現実へと戻ってくる。明確なメッセージを持っている。
しかし、驚愕の曠野では、取り込まれたきりである。世界が輪のようになって、内包状態になる。純粋に物語として、閉じた世界で終わるのである。従来の物語的性質を完全に破った反物語なのだが、物語として完成しているのだ。おもしろおかしい。
驚愕の曠野に限って話をすることにしよう。
非常に面白い。
何が面白いのかといえば、全体は従来の物語に反駁する、言わば反物語であるのに、部分部分では水滸伝や西遊記、さらには仏教の六道輪廻の思想を取り入れた、物語の集成となっているからである。
まず、この話は朗読という形で始まっており、朗読を介して物語を解釈するのだが、途中で朗読者の存在が物語世界へと取り込まれる、つまり、朗読している本の中の記述の一端として朗読者、言うなれば読者の分身が現れるのである。
従来物語というものは、読者という敷居からは物語世界を眺めるだけであったのだが、この驚愕の曠野では、読者を無理やり物語の中へ引きずり込んでしまうのである。真の意味で物語に没入させるのだ。
全部読むと、今まで断片的に与えられてきた情報が繋がって、この物語の世界を正面から認識することができる。死後の世界だとか、放射能で畸形化した虫だとか、SFの中では取り立てて珍しくない設定が、この物語では非常に面白く感じられる。
読者の分身である朗読者が物語に取り込まれるという話はこれが最初ではない。ミヒャエル・エンデの「果てしない物語」もそうである。だが、正反対とも言えるほどの違いがあるのだ。
果てしない物語では、本当の主人公、バスチアンが最後に現実へと戻ってくる。明確なメッセージを持っている。
しかし、驚愕の曠野では、取り込まれたきりである。世界が輪のようになって、内包状態になる。純粋に物語として、閉じた世界で終わるのである。従来の物語的性質を完全に破った反物語なのだが、物語として完成しているのだ。おもしろおかしい。
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