メモ

2008年12月30日 読書 コメント (2)
プラトン『国家』 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 
ヘーゲル『精神現象学』 デカルト『省察』 パスカル『パンセ』 ライプニッツ『単子論』 
カント『純粋理性批判』 キェルケゴール『死に至る病』 バーク『フランス革命の省察』 
ジェイムズ『宗教的経験の諸相』 ニーチェ『道徳の系譜』 ベーコン『ノヴム・オルガヌム』 
フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』 メルロ=ポンティ『知覚の現象学』 
ハイデッガー『存在と時間』 アーレント『精神の生活』 ヨナス『責任という原理』 
サルトル『存在と無』 ベルグソン『時間と自由』 ミンコフスキー『生きられる時間』 レヴィナス『全体性と無限』 
フロイト『快感原則の彼岸』 ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』 
フォーダー『精神のモジュール形式』 ヤスパース『精神病理学総論』 エレンベルガー『無意識の発見』 
ラカン『精神分析の四基本概念』 フーコー『言葉と物』 ソシュール『一般言語学講義』  
ヴェイユ『重力と恩寵』 ディルタイ『精神科学序説』 ブーバー『我と汝・対話』 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』 
ミンスキー『心の社会』 ライル『心の概念』 バタイユ『エロティシズム』 アガンベン『ホモ・サケル』 
ラッセル『西洋哲学史』
ルソー『社会契約論』 スピノザ『エチカ』 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』  
リップマン『世論』 オルテガ『大衆の反逆』 マンハイム『イデオロギーとユートピア』 フロム『自由からの逃走』 
ミルズ『パワーエリート』 リースマン『孤独な群衆』 パーソンズ『社会的行為の構造』 デュルケム『自殺論』 
イリイチ『シャドウ・ワーク』 M・ポランニー『暗黙知の次元』 バレーラ、マトゥラーナ『知恵の樹』 
ルーマン『社会システム理論』 ブルーム『アメリカン・マインドの終焉』 シオラン『歴史とユートピア』 
ハバーマス『晩期資本主義における正統化の諸問題』 ロールズ『正義論』 ブルデュー『ディスタンクシオン』 
オング『声の文化と文字の文化』 アドルノ&ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』 フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』 
サイード『オリエンタリズム』 ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』 アンダーソン『想像の共同体』 
シンガー『実践の倫理』 マッキンタイア『美徳なき時代』 ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』 カイヨワ『遊びと人間』 
フレイザー『金枝篇』 モース『社会学と人類学』 レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』 ギアツ『文化の解釈学』 
キャンベル『千の顔をもつ英雄』 ブローデル『地中海』 ウォーラーステイン『近代世界システム』 
クラウゼヴィッツ『戦争論』 アダム・スミス『国富論』 ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』 
ベンタム『道徳と立法の原理序説』 ミル『自由論』 マルクス『資本論』 アルチュセール『資本論を読む』 
シュンペーター『経済発展の理論』 フリードマン『資本主義と自由』 ハイエク『法・立法・自由』 
ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』 ヴェブレン『有閑階級の理論』 ポランニー『大転換』 
ボードリヤール『消費社会の神話と構造』 セン『貧困と飢饉』 ベル『資本主義の文化的矛盾』 
ドラッカー『「経済人」の終わり』 サイモン『経営行動』 ギデンズ『近代とはいかなる時代か』
ホワイトヘッド『過程と実在』 クリプキ『名指しと必然性』 ポパー『推測と反駁』 クーン『科学革命の構造』 
ラカトシュ『方法の擁護』 デイヴィドソン『真理と解釈』 パトナム『事実/価値二分法の崩壊』 
ベイトソン『精神の生態学』 ベンヤミン『パサージュ論』 デリダ『法の力』 リクール『時間と物語』 
ペンフィールド『脳と心の正体』 スローターダイク『シニカル理性批判』 シュミット『政治神学』 
ダール『ポリアーキー』 ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトクライス』 チョムスキー『文法理論の諸相』 
ヴィゴツキー『思考と言語』 パノフスキー『イコノロジー研究』 ソンタグ『反解釈』 ウィルソン『生命の多様性』 
ドーキンス『利己的な遺伝子』 ギブソン『生態学的視覚論』 ケストラー『機械の中の幽霊』 
ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』 イーザー『行為としての読書』 イーグルトン『文学とは何か』 
ホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ』 ド・マン『ロマン主義のレトリック』 ブランショ『文学空間』 
ガダマー『真理と方法』 ローティ『哲学と自然の鏡』 セラーズ『経験論と心の哲学』 レイコフ『認知意味論』 
ダマシオ『生存する脳』 クワイン『ことばと対象』 アウエルバッハ『ミメーシス』 ミード『西洋近代思想史』 
ネグリ『構成的権力』 クリステヴァ『詩的言語の革命』 ランシエール『不和あるいは了解なき了解』
クリシュナムルティ『生と覚醒のコメンタリー』 バルト『エクリチュールの零度』 マクルーハン『メディア論』
ボルツ『グーテンベルク銀河系の終焉』 キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』


15 :考える名無しさん:2008/07/23(水) 10:26:43 0

プラトン『国家』 →「国家」なんか選ぶのは、プラトンを読んだこともない(が読まなきゃならないとでも誰かに吹き込まれた)輩だろう。退屈。せめて修羅場のある「饗宴」か、ソクラテスの悪意とカルリクレスの腕力とが炸裂する「ゴルギアス」をお勧めする。
アリストテレス『形而上学』 →単なる講義ノート。しかも出来の悪い。アリストテレス&ヒズ・ブラザーズによる『問題集』に差し替え。
ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 →くだらない。削除。
ヘーゲル『精神現象学』 →「法の哲学」に差し替え
デカルト『省察』 →必読書150とかの回し者か。「精神指導の規則」に差し替え。
パスカル『パンセ』 →モンティーニュを読む方が先だ。
ライプニッツ『単子論』 →せめて「モナドロジー」と呼べ
カント『純粋理性批判』 →読めもしないくせに「批判」か出すな。「啓蒙について」に差しかえ。
キルケゴール『不安の概念』 →ボツ。「現代の批判」に差し替え。
スピノザ『エチカ』 →「神学政治論」に差し替え。
ルソー『社会契約論』 →「エミール」に差し替えたのちに、クズ籠へ。
バーク『フランス革命の省察』 →保守反動。読む価値なし。まだしもトクヴィル「旧体制と大革命」。ツヴァイク「ロシェ・フーシェ」でも可能。
ジェイムズ『宗教経験の諸相』 →「宗教的経験の諸相」。だが読むならデュルケム「宗教生活の原初形態」が先。
ニーチェ『権力への意志』 →妹によるバッタモンの編集本。捨てろ。『善悪の彼岸』『道徳の系譜』
フッサール『論理学研究』 →読めるわけがない。「幾何学の起源」(デリダの長い長い序文付き)か「内的時間意識の現象学」へ。



Study nature, not books///

コメント

祭谷一斗
祭谷一斗
2008年12月30日14:49

元のスレといい、いろいろ面白いですね。
(けど、これ全部読んでる人って日本に何人いるんでしょう?)。
やや失礼な話ですが、もしつまずかれたなら、その著者のものを後に回すとか、
哲学は時代系列順(ギリシャ~近現代)に読むとか、
引用されてる小説や詩などの出典にあたることをお勧めしたいです。
それでも「読めるか!」なものもあると思いますが……
ご健闘をお祈りしております。

ワタル
2009年1月18日23:28

>G.O.さん
アドバイスありがとうございます!
正直な話し、これらの哲学は自分にとって少々essential過ぎるきらいがあるので、まずはヘロドトスとか孫子とか、その中でもより現実に即したものから読んでいくつもりです
宝に出会えることを祈ってやみません

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