一昨日ぐらいだったか、夢の中で故人に会った。

池袋駅構内の、西口側の吹き抜けのある場所にいた。
飲み会か何かのあと、2次会に行くかそのまま帰るか大人数で迷ってるときのあの感じ。
きっとサークルの打ち上げでそんなことが何度かあったから、その風景を投影していたのだと思う。

でも大人数でもなければ飲み会の後でもなかったらしくて、俺と何人かと奴でくだらない話をしていた。
彼とは高校のころの部活の同級生だったんだけど、部活の集まりではなかった。


夢の中とはいえ、
「おい、最近元気にしてるか」って声をかけてしまった・・・故人なのに。


そんな感じでくだらない話をしてたら、彼はメトロポリタンの地下1階から1階へ抜けるエスカレーターに乗って帰って行ってしまった。

でも、その後ろ姿を見てたら、「俺が頑張んなくちゃなー」って思えてきた。

説得力があったんだよね。
背中に。



僕の歳では、まだだれが生きててだれが鬼籍に入ってるか迷うようなことはなかなかないんだけど、それでもこういうことはあって。



ひとは死んでも。
記憶の中に生きてるんだなー、って思います。

だから、知ってる人がいなくなったときにほんとにいなくなってしまうんでしょう。



人と人の出会いってそういう意味で何より大切なものだと思うんだけど、その一方でもう二度と会わないかもしれない人もたくさんいるというはかなさも兼ね備えている。





人、それも普段あまり会うことのなくなった人たちとさかんに会う年の瀬になって、そんなことを感じます。


ちなみに忘年会より新年会派です。(予約が取りやすいから)





忘年会で「年を忘れよう」って言うのはビールを飲んで「くー、この一杯のために生きているんだよなぁーっ!!」って言うぐらい定番ですね。
毎年毎年色んなことがあって色んな気持ちになったり色んな人に振り回されたりしてるからそう思うのだろうし。
やたら鬱陶しいことやら先の見えないことやらを抱えているから、お酒を飲んでる時ぐらいはそういうものから離れて自由になりたいとおもうのはごく自然な話で。

そのうち1年の出来事で忘れたいこともなくなる時が来たら、きっとそのときは「歳を忘れよう」という風になるのでしょう。



努力するのも悩みを抱えるのもお酒を飲んで酔っ払うのも歳をとるのも、全部生者の特権で。

そんなことをこの忙しい年の瀬に、故人は教えてくれたのかもしれない。

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