寒いですね。とにかく。
通気性のいいスニーカーを買った瞬間、この天気になりやがりまして、おそらく来年まで封印です。
どうしてくれるんだこの。



さて、なるだけ毎週書いていくつもりだった日記も、これだけ間隔が空いてしまえば、「毎週書いていくつもり」なんていう言葉に誠実さが微塵も感じられないですね。笑


舞台の上に上がるイベントが終わってからは、雑事に追われて結構あわただしく過ごしています。
その原因は詰め込み教育にあるのですが。


課題として出されていたレポートを書き上げたら、なんと138枚になりました。

138枚って。
たぶん、今までの課題の中で一番書いてると思います。

文字数に換算すると、400字詰めの原稿用紙で100枚に行くのではないか、という感じです。短編小説どころか中編小説が書ける文字数です。
書く内容が違ってたら、文豪ですな。


来週に軽く校正して提出できたらなー、と思っています。


で、問題なのはレポートだけではなく。
テスト。テスト。テスト。。。

流石にテスト勉強の方法論とかバックグラウンドの知識は指数関数的に習得しているものの、やっぱり暗記量が多いのがしんどい。
しかもこの短期間で覚えても、就職するころには絶対忘れているに違いない。



とまあ、こんな感じで毎日過ごしています。





ただ、主体的に取り組むようなイベントが終わった今、勉強をしてない時間は本当に無な感じです。

例えば平日の夜、部屋で勉強していてアタマが煮詰まったあとのふとした一瞬。
そんな瞬間には、本当に無な感じになったのを感じてしまいます。


何かワクワクするような物事が進んでいると、きっとこの一瞬はなくなっていくんだろう。
ワクワクするような出来事を望む一方で、この一瞬の感覚も大切にしていかなければなー。





話は変わるけど、
同じ人と接する時間が長くなると、関係はどうであれ(つまり恋愛に限った話ではなく)、相手がどういうことを考えているのか直感的に分かるようになる気がしませんか?

そもそも直感というものが過去の無数の試行のなかからそれらしいパターンを無意識のうちに拾ってきているのだとしても、なんとなく、分かったりするような気がします。


なんだけど、考え方は分かっても、好みというのは案外分からなかったりする。

例えば、すごい仲のいい友達と初めてお寿司を食べに行って(ということは今までなんとなく寿司を食べる機会がなくて)、いざ食べようとしたらウニが全然好きじゃなかったりとか。



この、考え方と好み方の違いに説明をつけようとすると。おそらく、

考え方というのは性格とか物事をとらえるアルゴリズムみたいなのが頭の中にあって、そこから演繹的に組みあがってるからで、好みというのはもの一つ一つに好きとか嫌いとか、そういう価値が付与されることで好き嫌い全体が帰納的に形成されてるのでは、と思う。


心理学的には、子供のころ、叱られたりとか嫌な思い出とリンクしている食べ物は嫌いになるとよく聞くけど。


大脳のシナプスの大まかな位置関係は幼年期にだいたい固定されてしまうんだけど、その後も少しずつ切断、接続されているのに対応するのだろうか。


エビデンスはない。


でも、そう思い込むことで、たとえば性格を変えようと思って、捉えようのない問題にひたすら取り組もうと悶着するよりは、一つ一つの好き嫌いの原因を考えたり、小さなポイントポイントで変わっていくことで、今までよりもすっきりした気持ちで生きることができるのかもしれないですね。





なんだか脱線していくばかりなので、今日はこの辺で。

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