特称命題を全称命題取り違えることによって大きな誤解をしていることは、存外に多いのではないか。
つまり、「ある○○は××だ」を「すべての○○は××だ」としてしまう誤りである。
しかも、それを自覚せずに終ってしまうことが結構多いようだ。
たちが悪いのが、言っている側もインパクトを高めようとするあまり、解釈によっては取り違えうる形で見出しをつけてしまうケースである。「がんは抗がん剤で治らない」とか。見出しだけでは全称で解釈されてしまう恐れがあるというレベルでは既になく、積極的に全称命題だと思われそうだ。
では、そんな情報が溢れかえる中でどうしたらよいのか。
それには全称命題のようなケースでもいちいち個別具体的に検討していくしかない。
反証するだけでは建設的な議論にはならないが、反証可能性が開かれていない議論には価値がない。だから、いちいち考える。
つまり、「ある○○は××だ」を「すべての○○は××だ」としてしまう誤りである。
しかも、それを自覚せずに終ってしまうことが結構多いようだ。
たちが悪いのが、言っている側もインパクトを高めようとするあまり、解釈によっては取り違えうる形で見出しをつけてしまうケースである。「がんは抗がん剤で治らない」とか。見出しだけでは全称で解釈されてしまう恐れがあるというレベルでは既になく、積極的に全称命題だと思われそうだ。
では、そんな情報が溢れかえる中でどうしたらよいのか。
それには全称命題のようなケースでもいちいち個別具体的に検討していくしかない。
反証するだけでは建設的な議論にはならないが、反証可能性が開かれていない議論には価値がない。だから、いちいち考える。
コメント
実は今、この主張者を個人的に追いかけています。
血液系での拒否が、自分の知る限りだけで何件も起こっていて、
全体では果たして……と考えるだに身が凍る思いです。
正直いつ訴えられても不思議ではないと思いますが、
KO(仮)が対外的には見て見ぬ振りを決めたりと、色々厄介ですね。
愚痴めいて恐縮ですが、一方で「がんは放置すればいい」と言いつつ、
自称セカンドオピニオン外来を開設する矛盾に何故気付かないのでしょう……。
世間しかり、出版社しかり……。
この人の行状について軽く調べてみたんですが、やっぱりちょっと変な話が多いみたいですね。
確かに抗がん剤が延命効果だけしか見込めないがんはありますが、治癒しうるものまで治らないと誤診しているように見受けられる、というのがインターネットでざっくりと調べた印象です。
一体何が目的なんでしょうか。。本当に抗がん剤の効果がない/使用した方がよいとはいえないということを主張したいのであれば、エビデンスを蓄積して学会発表なり論文なりで発表すればよいのに。
そういった主張を専門科ではなく一般向け著作中心に行っているのは、ミスリードを誘発しているように思えます。
>一体何が目的なんでしょうか
推測ですが、自分の説は以下3点の複合ですね。
・自説を半ば本気で信じている
・KO退職後の収入確保
・名誉欲
彼の今の知識レベルでは、いくら人員不足でもマトモな病院は雇いませんから。
実際、来年の退職前にセカンドオピニオンの相談所を開業しています。
>専門科ではなく一般向け著作中心に行っているのは、
>ミスリードを誘発しているように思えます。
これはワタルさんの思われている通りです。
(正直、本職の方が彼の著作を読む価値はほとんどありませんが)
彼の「抗がん剤が効かない」の根拠は、”医学界と製薬企業との癒着”ですから。
挙げているデータは例外的なもの(クレスチン等)や印象論ばかり。
つまり、「(告発している正義である)自分だけを信じるようなミスリード」ですね。
著書ではご丁寧に「腫瘍内科医だけにはなるな」「何千万の車を乗り回す輩」、
との印象操作がついてました。初めからフェアにやるつもりはないということです。
端から学会を相手にしていない(けど、相手にされないというポーズを取っている)。
ただ、かつては彼の方が正しかった事もあって、それが「説得力」の一端になっています。
誰もが知る芸能人のスキルス胃がんに、無茶苦茶な拡大手術をしていた時代の話です。
90年代は、無理な手術をしない事や温存療法、告知のありよう等、彼の方に分がありました。
それが今では……残念なことです。