記憶法

2011年8月25日 読書
バイトで記憶する方法を教えたのでメモ。

ここでいう記憶とは、認知症予防や緩和目的ではなく、とりあえず試験に
通るための方策である。

認知症予防では、最近イギリスで開発された、60秒ごとに自動で1枚ずつ写真を撮る小型カメラみたいなのが効果があったといわれている。
現物も見せてもらったけど人から聞いた話なのであんまりよく知らない。ソースも見つからないし。




そもそも記憶とは


脳科学的な知見とか、神経のモデリングについては考えないことにする。
短期記憶と長期記憶に分かれていることが重要。
短期記憶は20秒程度保持され、長期記憶は(使っていれば)長い間保持される。

短期記憶は平均して7つ前後の事柄しか覚えることができない。おそらく、単語を覚える部分と映像を覚える部分と音を覚える部分は若干違う。(?)

長期記憶にはエピソード記憶、意味記憶、手続き記憶(自転車の乗り方など技能にかかわるもの)、プライミング(言葉と映像、音の対応)があるとされる。

ある程度のレベルまで、勉強とは「問題の答え方を記憶する」ことだと考えられる。
(もちろんあるレベル以上からは、記憶したデータを構築し直したりそこから類推する必要が出てくる)



そこで、勉強とは試験の時に使える長期記憶のデータを増やすことである、という認識のもとで記憶の仕方について考えてみる。

出力が正しければよいので、意味記憶、エピソード記憶のどちらかとして覚えることになる。



意味記憶を増やす(ex.英単語)

エビングハウスの忘却曲線(日数が経つと指数関数的に記憶が薄れていく)の原理のように忘れていくので、
●何度も繰り返す (ex.毎日英単語を繰り返す)
●入力の系統を増やす (ex.英単語を読んで書いて発音して覚える)
という方法が考えられる。

この方法では限界があるので、可能な部分はエピソード記憶を使うと良い。


エピソード記憶を増やす

語呂合わせは単純なデータの集まりをエピソード化するものと考えられる。

●語呂合わせを作って意味記憶の固まりをエピソード化する(アルカリ金属元素を「スリの中島ルビーをせしめてフランスへ」)(ex.必須アミノ酸の頭文字を取って「リスとロバ不明」みたいに覚える)

もちろんデータの集まりじゃなくても「鳴くようぐいす平安京=794年」みたいなものでもよいし、語呂合わせから逸脱したエピソードでもよい。

例えば、「カレー/電車/缶コーヒー/タクシー/だるま/海老/卓球/布団」みたいな単語の列を覚えるときに、
「カレーを食べながら電車に乗って、駅で降りてタクシーを拾う。窓から土産物屋にだるまが置いてあるのが見える。タクシーで温泉旅館に着いたら、夕飯に海老が出た。卓球をして疲れたところで布団に入った」
みたいに考えた方が、量としては多いが覚えやすいかもしれない。


語呂合わせ以上に重要なのが

●理屈で覚える

ことである。英単語の接頭辞接尾辞(conspire=con(一緒に)+spire(息をする)=共謀する)が例として分かりやすいかも。
貧血の鑑別を考えるときに、造血のどの段階が駄目になることで血球がどうなるのか考えられる、なんてのもそう

そして理屈で暗記するということは、結局、本質的な理解につながっていることも多い。




まだまだ補筆の必要はあると思いますが、今日はこの辺で。

沿革

2011年8月21日 読書
昨日までサークルの合宿に行ってました。
詳しくは秘密にて。

ボランティア

2011年8月2日 読書
診療所で働いてきました。
半ば旅行気分でしたが。
友達の家で急遽開催された、カレーを食べながらカクテルを作っては飲むというパーティーに参加してきた。
お酒がふんだんに余っていたらしい。

主催した人たちは昼間2時からやってたらしいけれど、アルバイトを終えてから行ったので着いたら11時過ぎになってしまった。
最後に八王子に来たのは二年半ぐらい前のホール練だったから、相当久しぶりだった。

到着した時には勿論だが、みんな酔っ払っていた。
ホワイトレディ、バラライカ、サイドカーを作っては飲んでいたら自分も酔っ払ってきた。
ロングアイランド・アイスティーを飲んだらもっと酔いが進んだ気がする。

何人か寝はじめた頃、起きている人たちで、作ったことのないカクテルを作っては飲んで、作っては飲んでという催しが始まる。
テキーラが尽き、氷が尽き、体力が尽きた。





携帯のアラームが朝を知らせてくれた。
すでに社会人組と一部の学生は仕事に旅立ち、暇そうな人たちはまだ寝ていた。


典型的な郊外の様相を呈す、建売りの立派な一軒家が並ぶ通りのアパートの一角。
広々とした部屋に沢山のお酒の瓶。
一晩寝かせたおいしいカレーの匂いがかすかにして、
道に面した窓からは柔らかい日ざしが差し込んできている。


そこは極楽だったのかもしれない。

文化祭

2011年5月31日 読書
先週はオクトーバーフェストに行って、ビールをちょっと飲んでみた。
日比谷公園は定時前なのにスーツで一杯だった。

あまりに混んでいたので、結局最終的には秋葉原に移動して、メイドさんとダーツをやろうとしたが、生憎空いてなくて結局普通のお店でダーツを投げた。

メイドダーツバーのメイドさんはダーツが本気で強いらしいが、勝ってもツーショットで写真が撮れるだけしか特典がないらしい。




週末は文化祭でした。

パネルディスカッション登壇者のドタキャンに伴う様々な準備の変更、必要な物が揃わない中での看板組み立て作業(オペレーター)、来て下さった方の応対などなど、嵐のように忙しく過ぎてったと思っていたら、本当に嵐が来て、通り過ぎていった。


いつもやっているオーケストラは、パネルディスカッションと完全に時間が重なったため休み。
仕方ない。




今回の文化祭でも「ひとり打ち上げ」など様々なネタが生まれ、内輪の中での話題をかっさらっていったところに祭の跡を見る思いをする。

と同時に、残った勉強の山を見てあんなに大変だった祭が懐かしくなる。

大したことはしてないのだけど。
もともとみんな変わった人ばっかりで、なかなかまとまって動かないうちの学科が一つになれる唯一の機会、それも年に一度とかではなく在学中1回限りの貴重な機会だった。




これでひと段落なので、しばらくはまた勉強に明け暮れる毎日が続きそうです。

7月になったら大学もほとんど休みなので、京都と大阪に行ってちょっとだけ観光してこよう。





明日からは、一年間で最も横浜に行きたくなる月、6月です。

宅飲む

2011年5月19日 読書
久しぶりに友達の家でお酒を飲んだ。
雷の日のことだった。


それは別に前々から計画していたことでもなく、ちょっとした用事で、たまたまその近くを通ったからだった。
用事を済ませた後、どうせなら何か食べていこうと思ったのだが、ひとりで食べるよりもどうせならとメールをしたら、ちょうど空いていた。
実に久しぶりだった。


することが見えずに池袋をさまよっていた時代とも、あてもなく渋谷や下北沢をうろついていた時代とも違う今にとって、それは貴重だった。


住み慣れた感じのする部屋で発泡酒ではないがエビスでもないビールを飲んでいると、薄墨のような雨雲が遠くの方に流れていった。


彼も僕もまだまだ大学に残る。

社会に飛び立っていく人を見送りながら流れていく時間の中にいて、なかなか結果を出すこともできないのかもしれないけど、自分なりに、きちんと評価されるベストを尽くしていきたい。

主観的な時間

2011年5月12日 読書
時間というのはあっという間に過ぎていくものだと、今年に入ってから常々思う。

病棟にこもったり授業に出たり旅行に出かけている間に、色んな物事が与り知らぬところで進んでいるように思えるのは、それだけの長い時間が過ぎていったからだ、ということに気付いたときの衝撃は大きい。


今年に入ってから、今まで以上にクラシック音楽をよく聴くようになった。
それは、自分の音楽の終着点が見えてきたからである。

形而上のではなくて、時間的な。



今まで、自分の今後の人生の中でどういうウェイトをあの楽器に与えられるのか、考えなければいけない時期は来るということは分かっていても、結局のところ見えてくることはなかった。
それが、今年に入ってから、まるでトンネルを抜けた上越新幹線の車窓のように、明確に見えてくるようになった。
室内楽を除けば、今手がけているベートーヴェンのチクルスがおそらく最後になるということも。


さて、そのベートーヴェンのチクルス、地震の影響で練習も減ってしまったし、練習に来ない人もやっぱりいるのだけれど、なかなか良いメンバーに恵まれているので出来栄えが楽しみです。
音響的にも音韻的にも非常に難しい曲だけども、いまならなんとか戦えるんじゃないか、そんな期待を持ってます。



前に進まないと。

壮行会

2011年4月8日 読書
昔むかし、予備校に通っていた頃、センター試験の直前に壮行会のようなものがあって、予備校の職員が生徒の前で話をする、というイベントがあった。
勿論、そのころのことはあまり鮮明には覚えていない。

ただ、ひとり、若い職員さんがいて、いつもその人は他の人と比べても明らかに熱心な仕事ぶりだった。
いつも1000人もいる校舎で、生徒の顔をけっこうしっかり覚えている、数少ない職員さんだった。

その人が、その壮行会の場で、


「僕もかつて医学部に行きたくて、ここで勉強していました」

と言っていたときの表情は、どこか引っかかるものがあって、今でもなんとなく覚えている。



すこし前に、当時の担任とお酒を飲んでいたときにその人のことを聞いてみたら、講師採用試験を受けて、とうとう講師になったのだそうだ。
どうしても、生徒に直接のサポートをしたかったのだと聞いた。




いまもきっと、あの熱心さで、どこかの校舎で英語を教えてるんだろうなぁ。

山手線から眺める、暗くなった新宿を見ながらそんなことを思い出しました。

地震

2011年4月3日 読書
何度となくやってくる震度3の余震にも慣れた。

僕は無事でした。




この地震のおかげで分かったことが何個か。




・全くいつも通りに暮らしていても、1時間後に死んでいるということが現実にあるということ

もはや言葉が見つからない。
http://www.youtube.com/watch?v=IK9stJG3FnA

震度6の場所にいた友人は、人間の命がろうそくを吹き消すみたいにふっと吹き飛ばされるような存在だということを自覚させられた、と言っておりました。
江戸落語みたいですが。


・独占、半独占企業は腐っていく

現場の方々が努力されているのは分かりますが、国際問題に発展しかねない局面での政府の対応や、責任をとるという姿勢が見えない東京電力の社長やトップ層を腸が煮えくり返る思いで眺めています。


・放射線に対するリテラシーのなさ

放射性物質から身を守るためには、基本的にはどうしたらよいか。

日本にいると年間何Sv被曝しているか。レントゲンが何Svぐらいか。

ラジウム温泉は大丈夫なのか。

α線、ベータ線、ガンマ線、中性子線など、どう違うのか。

放射線は人体のどのような場所にどのような機序で作用するか。

常識として知っておくべきこともあると思う。



・やさしさ

震災当日、家に帰れなくなったとき、家に泊めてくれた友達に感謝。

・頑張らなければ。

将来

2011年3月10日 読書
瞬く間に3月も中旬となってしまいました。
実習が終わり、バイトとか旅行とかスキーに、人生の中で残り少ない春休みを精一杯消費しています。
CBTの問題集とかUSMLE向けの行動科学とか、英語とかやらないといけないけれど。


将来についてひたすら悩んでます。
どういう診療科を選んで、どういう医者になったら一番happyなのか、自分の中で答えが出ません。
医官とかコンサルではなく医師になるのであれば外科系に進むとは思いますが。(しかも消化器でない外科系かも)

この問題は職業的な専攻のみではなく、趣味と自分とのあり方とか、恋愛とか、色んなところに少しずつ顔を出しているようにも思えます。


ただ、一つ心の中に決めていることがあって、それをエンリコ・フェルミの言葉を借りていうと、

「最良であれ、でなければ他のものであれ」

ということ。


それは、別の言い方をすれば、「自分にしかできない、かけがえのない仕事をする」ということで。

そういう活躍が出来そうな場であったり専門を見つけなければ、という思いはことのほか強いです。少し前、偉い先生とお話しさせて頂く機会があって、その時に「25,6ではまだまだ判断できることではないよ」とは言われたのだけれど。


少し前まで、曲がり角を目指して走っていたけれど、もしかしたら間違った曲がり角を曲がってしまっているのかもしれない。

そうだとしても、最後の最後まで諦めないで生きていきたい。

懐かしの日々

2010年12月22日 読書
高校のころやり込んでいたことは?

と聞かれたら、一も二もなくその答えは「バイオリン」。


高校のころは週6日ぐらい練習があるオーケストラの部活をやっていたからそう答えるのだけど、「オケ」でもなければ「音楽」でもないところが味噌である。

オケも音楽も好きだったけど、全然分かっていなかったことが今では痛いくらい分かる。
今になって音楽の仕組みもオケの理学も分かってきたからこそ、あの無限に時間を使うことのできた高校の日々がことさらに懐かしく思えるのかもしれない。



前置きはともかく、今日は高校の部活の演奏会を聴きに行ってきました。
今年はたまたま国際コンクールに出た人が在学中で、彼をソリストに、同期を指揮者に迎えての演奏会でした。

で、聴きに行って。



いやー、懐かしい。
メンバーは全く分からないけど、うちのオケの音だなー、というのが第一の感想です。
ソリストはもちろん、オケもかなりいい演奏をしていて、高校生でもここまでやれるんだな、という驚きもありました。

一番感動したのが実はずれ方で、自分が高校生で文化祭で協奏曲を弾いたときのあのずれ方を彷彿とさせるゆらぎでした。
思わず目頭が熱くなる展開は想定の範囲外だったwwwwww


指揮台から花束を出すのもお約束でしたね。

OBには色々と感慨深い演奏会でした。


終演後、高校の部活のメンバーで昔からよく行ってたスパゲッティ屋に行きました。
実に数年ぶりです。

20歳を過ぎて、高校生の頃と味覚が変わっても美味しい。




その後、小学校(幼稚園?)からの親友とお茶。
受験勉強をしていたあの頃によく行ったベローチェで、よく頼んだコーヒーゼリーを頼みつつ。

ついでに携帯の下見を手伝ってもらったんだけど、スマートフォンって凄いんですね。
iPodTouchを買おうかなと思ってたけど、思い切ってスマートフォンに機種変してからiPodclassicを音楽用に買った方がいいような気がしてきた。
実際悩むところ。


で、さらに散策してたら、小学校の同級生がアルバイトしているところに出くわした。
彼女は来年就活らしい。



高校のオケを聴いて、スマートフォンを見て、就活中の同級生を見て、

時間が経つのだけが早い。



でも、それは過去を振り返るからで、今この瞬間にも、未来へ向かってすごいスピードで進んでるのだと思うと、なんだか時間に背中を押されてるみたいで、前に前に進まなきゃと思う。
一昨日ぐらいだったか、夢の中で故人に会った。

池袋駅構内の、西口側の吹き抜けのある場所にいた。
飲み会か何かのあと、2次会に行くかそのまま帰るか大人数で迷ってるときのあの感じ。
きっとサークルの打ち上げでそんなことが何度かあったから、その風景を投影していたのだと思う。

でも大人数でもなければ飲み会の後でもなかったらしくて、俺と何人かと奴でくだらない話をしていた。
彼とは高校のころの部活の同級生だったんだけど、部活の集まりではなかった。


夢の中とはいえ、
「おい、最近元気にしてるか」って声をかけてしまった・・・故人なのに。


そんな感じでくだらない話をしてたら、彼はメトロポリタンの地下1階から1階へ抜けるエスカレーターに乗って帰って行ってしまった。

でも、その後ろ姿を見てたら、「俺が頑張んなくちゃなー」って思えてきた。

説得力があったんだよね。
背中に。



僕の歳では、まだだれが生きててだれが鬼籍に入ってるか迷うようなことはなかなかないんだけど、それでもこういうことはあって。



ひとは死んでも。
記憶の中に生きてるんだなー、って思います。

だから、知ってる人がいなくなったときにほんとにいなくなってしまうんでしょう。



人と人の出会いってそういう意味で何より大切なものだと思うんだけど、その一方でもう二度と会わないかもしれない人もたくさんいるというはかなさも兼ね備えている。





人、それも普段あまり会うことのなくなった人たちとさかんに会う年の瀬になって、そんなことを感じます。


ちなみに忘年会より新年会派です。(予約が取りやすいから)





忘年会で「年を忘れよう」って言うのはビールを飲んで「くー、この一杯のために生きているんだよなぁーっ!!」って言うぐらい定番ですね。
毎年毎年色んなことがあって色んな気持ちになったり色んな人に振り回されたりしてるからそう思うのだろうし。
やたら鬱陶しいことやら先の見えないことやらを抱えているから、お酒を飲んでる時ぐらいはそういうものから離れて自由になりたいとおもうのはごく自然な話で。

そのうち1年の出来事で忘れたいこともなくなる時が来たら、きっとそのときは「歳を忘れよう」という風になるのでしょう。



努力するのも悩みを抱えるのもお酒を飲んで酔っ払うのも歳をとるのも、全部生者の特権で。

そんなことをこの忙しい年の瀬に、故人は教えてくれたのかもしれない。

練習芸

2010年11月26日 読書
ドン・キホーテは今、中国にマーケットを拡大しようとしているらしい。
そのために中国人の新入社員を積極的に雇用しようとしているらしく、社長は何度も面接のために中国へ足を運んでいるんだとか。

社長が語るには、
「中国の学生は本当に優秀」
だそうだ。

日本人でこれだけ、ドン・キホーテのことを調べてきた学生はいなかった、とも語る。


これだけ調べてきたのだから、ということは、すでに準備の段階で勝負はついているということ。



思うに、何をするにも結局ものをいうのは準備なわけで、準備できていないものを本番の勢いでなんとかしようとするのはそもそも無理な話です。

勉強しなかったテストでも、練習しなかった公演でも、真剣に向き合わなかった試合でも、何でも。

それでも、さまざまな分野で天才というのはいて、あたかも何の苦労もないかのようにこなす人というのはいる。

それを才能の違いだといって諦めたり、努力しなくても出来ると思いこむのは子供の想像力で、それを支えている汗と涙に思いを馳せるのが大人の想像力でしょう。


同世代でも、世界の舞台で勝負したり、それぞれの領域で輝いてる活動をしている人がいますが、その人たちにまず間違いなく共通しているのが、努力、だと思います。

例えば。
今朝のニュースで。陸上アジア大会の女子100m、200mで日本人として初めて優勝した福島さんのニュースを聞いて感動しました。
福島さんがどういう練習スタイルの選手なのか、どころかそういう選手がいることもその時まで全く知らなかったのだけれど、走りを見ていたらそれでも心動かされざるを得ませんでした。


そういう努力をする人に共通してるように思えることは、彼らは根本的に努力を苦としていない、というところです。
むしろ、努力が好きなのではないか、と思います。


何故そんなに練習するの、と聞かれて

「弱いところがあっても、練習すればそれが克服できる。だから練習が好き」

と答えた福原愛の短いやりとりからも、そう感じられます。




何か大きなことを為そうとするときに、本当に強い気持ちを持っていないときっと心は折れます。

アスリートにせよ誰にせよ、彼ら彼女らが頑張る姿から、今なら心が折れることもないんじゃないかと信じる気持ちが生まれます。
その信じる力が、きっと色んな人やものごとを変えていくのではないかないでしょうか。




ドン・キホーテの社長がさらに語ったのは、実際に雇用した中国人新入社員の話。

彼は通常入社6か月までやらせない棚卸を1か月の時点で「どうしてもやりたい」と申し出てきたという。

前例のないことだけど、と言いつつ現場の責任者がしぶしぶ任せたら、とんでもない量の飲料を売り上げたのだとか。

新入社員は「いずれは中国の流通を支配できるようになりたい」と夢を語っている。




いつでも夢を語るのは若者の仕事で、真摯な気持ちと情熱を燃やして、誰よりも努力している。
「二度読まない本は読む価値のない本だ」というのは誰の言葉だったっけ。



まあ、誰の言葉でもいいんだけど。大切なのは中身だ。

今よりも本を読んでいたころは分かっていなかったのだけど、今ではその言葉の意味が少しは分かるようになりました。


それは結局のところ、本を読む中で自分がその本の内容を取り込もうとしたり、逆に本の世界に自分が取り込まれたりするには一度読むだけじゃ足りないということで。
逆にそのように読まない本というのはあまり読む価値がないんだと。


そういう観点で読みたい本を探しているのだけど、こういう風に考えましたか、と著者から教え諭されたような気持ちになる本というのはなかなか出会えない。






村上龍の短編集「空港にて」は、薄くて読みやすいと思って手に取ったものの、意外なところでそういう問いを突き付けられた本でした。

8つの「○○にて」というタイトルの非常に短い小説を集めた本で、全てそれぞれ一回の合コンとかカラオケの間とか空港で人を待ってる間といった、高度に凝縮された時間の中で思考が展開する形式で、閉ざされた世界が広がっています。
その中で共通して書かれているのは「閉塞した現状」です。

経済的にどんどん発展していくという希望がなくなり、努力すれば報われるという希望すらも怪しくなってきている、バブル後15年ぐらいの日本の姿です。

その中の一つ「公園にて」で、近所の母親たちの噂話やグループを気にしながら生きていくのはまさにその濃縮された構図でしょう。

しかし、共通して語られる希望があります。
それは海外への脱出です。



短編の4つは旅行関連の雑誌に寄稿されたものだから、という事情もあるんですが。


日本が閉塞しているのなら、海外に飛んで行けばよい。
海外で必ず成功するわけではないし、それ自体非常に難しいからこそ、そこは希望であり続けるのでしょう。


ただ、その希望を完全に肯定できてしまう現状というのは、逆説的に日本の閉塞しきった状況を裏付けるものとなってもいます。

それはすなわち、閉塞を打破できる選択がないのなら、必然的に閉塞感の中で生きなければならないということです。



その中で生きるにはどうしたらいいか?という問いかけは自然に出てきますが、非常に重いものです。





その答えはきっと分かることはないのかもしれないけれど、自分が本当に好きなことを見つけることはその一つなんじゃないかと思います。

日曜の午後に見る気もしないゴルフ中継を見ながらビールを飲むのも、仕事の空いた時間にひたすら煙草をくゆらせてるのも、ストレス解消にはなるけどそういうことではきっと閉塞感からは逃げ出せない。


本当に好きなことって、別にサイモン・ラトルの来日公演とかドガの展覧会だけじゃなくて、美味しいお酒とおつまみでも構わないだろうと思います。楽しみにして飲むお酒は、日曜のビールとも、仕事の合間の煙草ともきっと違う。

ちょっとうまく表現できないけれど、それは自分の欲望を肯定しているかどうかという違いのような気がします。
閉塞感から逃げ出すではなく、閉塞感の中にいる自分の欲望も肯定すれば、きっと状況を受け容れられた上で一番楽しくしていられるのかなぁと。



そんなことを「空港にて」から教えられたような気がします。
寒いですね。とにかく。
通気性のいいスニーカーを買った瞬間、この天気になりやがりまして、おそらく来年まで封印です。
どうしてくれるんだこの。



さて、なるだけ毎週書いていくつもりだった日記も、これだけ間隔が空いてしまえば、「毎週書いていくつもり」なんていう言葉に誠実さが微塵も感じられないですね。笑


舞台の上に上がるイベントが終わってからは、雑事に追われて結構あわただしく過ごしています。
その原因は詰め込み教育にあるのですが。


課題として出されていたレポートを書き上げたら、なんと138枚になりました。

138枚って。
たぶん、今までの課題の中で一番書いてると思います。

文字数に換算すると、400字詰めの原稿用紙で100枚に行くのではないか、という感じです。短編小説どころか中編小説が書ける文字数です。
書く内容が違ってたら、文豪ですな。


来週に軽く校正して提出できたらなー、と思っています。


で、問題なのはレポートだけではなく。
テスト。テスト。テスト。。。

流石にテスト勉強の方法論とかバックグラウンドの知識は指数関数的に習得しているものの、やっぱり暗記量が多いのがしんどい。
しかもこの短期間で覚えても、就職するころには絶対忘れているに違いない。



とまあ、こんな感じで毎日過ごしています。





ただ、主体的に取り組むようなイベントが終わった今、勉強をしてない時間は本当に無な感じです。

例えば平日の夜、部屋で勉強していてアタマが煮詰まったあとのふとした一瞬。
そんな瞬間には、本当に無な感じになったのを感じてしまいます。


何かワクワクするような物事が進んでいると、きっとこの一瞬はなくなっていくんだろう。
ワクワクするような出来事を望む一方で、この一瞬の感覚も大切にしていかなければなー。





話は変わるけど、
同じ人と接する時間が長くなると、関係はどうであれ(つまり恋愛に限った話ではなく)、相手がどういうことを考えているのか直感的に分かるようになる気がしませんか?

そもそも直感というものが過去の無数の試行のなかからそれらしいパターンを無意識のうちに拾ってきているのだとしても、なんとなく、分かったりするような気がします。


なんだけど、考え方は分かっても、好みというのは案外分からなかったりする。

例えば、すごい仲のいい友達と初めてお寿司を食べに行って(ということは今までなんとなく寿司を食べる機会がなくて)、いざ食べようとしたらウニが全然好きじゃなかったりとか。



この、考え方と好み方の違いに説明をつけようとすると。おそらく、

考え方というのは性格とか物事をとらえるアルゴリズムみたいなのが頭の中にあって、そこから演繹的に組みあがってるからで、好みというのはもの一つ一つに好きとか嫌いとか、そういう価値が付与されることで好き嫌い全体が帰納的に形成されてるのでは、と思う。


心理学的には、子供のころ、叱られたりとか嫌な思い出とリンクしている食べ物は嫌いになるとよく聞くけど。


大脳のシナプスの大まかな位置関係は幼年期にだいたい固定されてしまうんだけど、その後も少しずつ切断、接続されているのに対応するのだろうか。


エビデンスはない。


でも、そう思い込むことで、たとえば性格を変えようと思って、捉えようのない問題にひたすら取り組もうと悶着するよりは、一つ一つの好き嫌いの原因を考えたり、小さなポイントポイントで変わっていくことで、今までよりもすっきりした気持ちで生きることができるのかもしれないですね。





なんだか脱線していくばかりなので、今日はこの辺で。

二つの終演

2010年10月11日 読書
更新に時間が空いてしまいました。

二つ、大きな山場があって忙しかったのもあるんだけど、とうとう家のパソコン(2002年購入)が死亡して、ノートパソコンを買いに行ったり、ネットをつなごうとして結局まだつながっていなかったりと色々な事情があって日記を書いているどころじゃなかったのが実情です。


前回の日記に書いた現役最後の公演は無事千秋楽まで終わり、設営も全部解体されました。

後輩が演出をしていて、尺は長かったけど全力投球できたようでした。
「へいへーい」とか言いながら遠くから見てたり、音響関係の備品を色々組み合わせて試行錯誤してるだけだったけど、後輩の役者たちが演劇を楽しんでるのを見れただけで満足です。

最後の片付けの時、徹夜でPARとかCSQ(燈体)の点検をしているとき、ふっと「もうこうやってこの備品をいじることもないんだなー」って感じたとき、自分のこのサークルでの生活は終わったんだなと実感しました。

小空間(小屋)で迎える朝もこれで最後なんだなんて。




もう一つ、この前の土曜日は自分がコンサートマスターをやっていた演奏会が終わりました。

企画は実に1年半かかり、150人以上の団員を巻き込んだ大演奏会でした。
その10倍に届きそうな数のお客さんに恵まれた、幸せな演奏会でした。

プログラムはベートーベンの第九。

最後の1週間は毎日うなされるぐらい大変でした。
本番前最後の一日は、何も手につかず、学校の図書館で半日ぼーっとして、午後になったら友達と学校の近くの喫茶店でパフェを食べてGPまで気を紛らわせました。

本番も最初の方はかなり緊張してしました。
けれど、2楽章のあるフレーズから自分の中の何かがふっと紐解けてゆるんでいったのを感じました。


宇宙の創生の中に雷鳴が響くかのような1楽章、ティンパニがリードして快活に弾む2楽章、心の中にふっと現れたかのような安寧の3楽章、それらを推敲するようにして全く違った歓喜のメロディーにたどり着く4楽章。
フーガ形式があんなに尊いものだとは、恥ずかしながら、第九をやるまで知りませんでした。2重フーガは2倍尊いです。


聴きに来てくれた人の心をノックできるような演奏がしたかったけど、ソリストの方々、合唱団とオケのメンバー、指揮者の先生、そして運営陣の力を借りて、やっとそれが叶った気がします。
叶ってくれているといいな。





実はその後、エキストラで参加させていただいている演奏会があって、そっちにもお邪魔させて頂いていた関係で、飲み会に参加できたのは24時30分ごろでした。
終電もなくなる時間です。
100人近くの人が集まった最初の打ち上げは終わり、1次会に出られなかった人と運営に携わったコアなメンバーだけが残る濃い打ち上げでした。
着いた時には僕を含めみんながいい感じに酔っぱらっていました。


店を追い出されるまで飲んで、家で2時間仮眠をとってから用事を済ませ、再び家に戻ると日曜の午後4時でした。


なにげなしにテレビをつけてみたら、ゴルフの中継をやっていました。


それは日本のどこにでもあるような日曜日のテレビだったんだけど、その閑散とした雰囲気に触れた瞬間、自分の中で何かが決壊しました。



その時になって、やっと1年半がかりの大きなコンサートは幕を閉じたんだと気づきました。


2時間で終わってしまうのが勿体ない、楽しい本番でした。
ありがとうございます。
久しぶりに繁盛を極めています。ああいそがし。

自分が所属している劇団が昨日からハコを借りて設営、公演を始めようとしているので、てんてこ舞いなのです。今年から別キャンパスになったから全然参加はしていないんだけど、小屋入りしてからの作業は手伝いました。


受け持ちが音響設営だからひたすらスピーカーをコードで繋いでるけど、トラブルしか起きていません。
今日は後輩とひたすら備品のアンプに悪態をついていました。
ステレオ入力、モノラル入力の端子を切り替えたり、蓋を開けて基盤を点検しても、うんともすんともいわないので、一回落ち着いてから改めて対策方法を考えることに。
もし相手が古いブラウン管テレビだったら10回ぐらいチョップしてるとこです。




そんな中で、近日中に演奏会を2つ控え、部内演とか実習の発表プレゼンが重なっている状態だと、頭が沸騰しそうになります。


そして追い討ちのように明日から始まる新しい授業。



どう見ても死亡フラグです。






そういう環境にあったりして、最近、勉強の仕方を見直してます。
受験勉強の時は主に

1. 24時間勉強する。3倍,4倍,5倍勉強する奴、それが天才だ(野口英世)
2. 手を動かして頭を使って演習を中心にする
3. 結果を出さなきゃいけないところにピークを持ってく(2ヶ月単位ぐらいで)

ということに重きを置いていたんだけど、医学部に入ってからの勉強はちょっとタイプが違うので、少しずつ変化してきました。
イチローのバッティングのように変化していればいいですが、その境地にはまだまだ達しそうにありません。


受験生(特に浪人生)の頃のように、24時間勉強するわけにもいかないのが難しいところです。
そもそも集中力が持たないし、人付き合いとかもあれば、バイトをして生活費をやりくりしたり家事をしなければいけないという状況も出ます。
また、勉強だけが必要というわけではないから、時間の使い方はおのずと変わりました。



ただ、根幹になる部分は変わらなくて、

1. 結果に焦点をあて、成果に注目する。結局評価されるのは結果だけである。
2. 自分をきちんとコントロールすること。
3. 目標を見失わない。妥協するのは簡単だけど、簡単に諦めてはいけない。

そういうところはきっとそのまんまです。




いちばん特徴的なところを3つ抜き出すと、


1. 技術的であることを厭わない。よいものを適切に見極めて組み入れる。
2. インプット命。何を覚えているか、覚えていないかで全てが決まる。
3. いろんな媒体を使ったりして、勉強する機会を増やす。



「良いやり方があったらそれを真似しよう」と言い換えてみたら1.はものすごく当たり前です。
当たり前なんですが、これはすごく重要。

勉強をしているうちに知らず知らずのうちにバイアスが形成されて、自分のやり方と違うものを拒絶しがちになってしまうから、そこで謙虚になる勇気を持つべきだと思うわけです。
積み上げてきたものが大きいほど大変だけど、そこで謙虚になれないとなかなか前に進めない。

自分の気持ちだけを信じて強く進むことよりも、技術的に問題を解決することの方がいわゆる勉強では必要なんだと思います。


2.は受験時代とは正反対ですね。発揮できる成果に注目すると、どうしてもアウトプット型の訓練よりも徹底したインプットの方が重要になってきます。

生活習慣の変化に対して、技術的にアプローチすると3.みたいになります。
本当はiPadとかで電車でもどこでも勉強したいけど、金銭的に当分無理なのが悲しいところ。




以上、短期決戦型になれない人のたわごとでした。
勿論、何の勉強かによって勉強の仕方は変わると思うけど。

徹夜でプリント何十枚も覚えてくる人は本当にすごいけど、技術的に真似できないね。

Brugada症候群

2010年9月21日 読書
学科の先輩が亡くなりました。



その人とは特別接する機会が多かったわけではないのですが、部活の新歓でお話を伺ったり、ゼミ形式の授業で5回ぐらい行った研究室に在籍していた関係で、同じ代の他の人よりはお話する機会が多い先輩でした。


ちょっと前に、授業時間の一部を先生からもらって僕ら向けに講義もして下さったのですが、その時の話によると、海外の有名な大学に短期留学してきたところで、これから院に行って研究者としてのキャリアを歩んでいくところだったそうです。
勿論ですが、かなり頭の切れる方でした。
名前をgoogleで検索してみると、彼がアルバイトしていた予備校のホームページが出てきて、ある科目は偏差値90を切ることがなかったと紹介されています。

個人的な思い入れを斟酌しても、日本にとって大きな損失だといってしまっても過言ではないと思います。




若年の急性の心臓病のリスクは圧倒的に女性よりも男性の方が高いそうです。
そのような病態の一つにBrugada症候群があります。
発症すると心室細動を起こし、失神、多くの場合死亡に至るそうです。

この病気自体は1992年に報告されたものですが、日本や東アジアでは1000人に1~2人が遺伝的に発症しやすく、そのほとんど(9割)が男性だそうです。

僕の高校の頃の友達は、同じような病態で突然死しました。
突然お通夜に呼ばれた時の混乱した感じはまだ覚えています。
今でも出棺の時担いだ棺の重さが肩に残っているような気がします。



遺伝的な疾患なら、将来的には未然にリスクを知ることが出来るかもしれないけれど、夜間とかに急に発症してしまったら、どんなに技術を磨いても蘇生することは難しいかもしれません。
どうにもならないことはどうにもならないということを思い知らされるような気持ちです。




あまりに突然だったので信じられなかったのですが、もうお通夜も終わってしまったみたいです。
将来の医学研究をリードしていくんだろうな、と誰もが期待していた素晴らしい先輩でした。

ご冥福をお祈りします。

新学期

2010年9月2日 読書
最近の義務教育では、9月になる前から学校が始まるらしいですね。
週休2日のしわ寄せらしいのがなんとも。


そもそも週休2日ってどうなんだろう。
小学生とかの視点で見たら、土曜日がまる一日空いても微妙なんじゃないかな。
それよりも、学校に行って友達とわいわいやって、その流れで午後も遊びに行ったり、もしくはそこからクラブチームなりお稽古事に行った方が楽しいような気がする。

ということを考えてしまうのは、高校1年の頃は土曜日の授業があったのに、2,3年になって週休二日制じゃなくなった思い出によるところが大きい。
ちょうど過渡期だったから、土曜日は2コマで、その代わり金曜の1限とか午後のコマが減ってました。

2年に上がって、土曜の授業がなくなっても部活の練習が増えるから学校に行くのは変わりがなかったし、何より完全な週休二日制のせいで夏休みが半月短くなるというのは納得いかなかった。









ちなみに、僕も28日から学校でした。
土曜日にいきなり試験があって、そこから毎日学校です。



かなりの時間の授業を消化していて気付くのは、実際に行うのが一番勉強になるんだなー、ということです。実習みたいに。
基礎医学といえども。実験に限らず。
そのためには少人数のグループで勉強するのがよいんだけど、そのグループごとに教えてくれる人がいないといけないから実践できないんだろな、と。

ある程度知識レベルを分かりながら教えられるというのは、教える側にとっても労力の節約につながる。
学生同士が勝手に話し合って知識を共有すればそもそも教える量自体減るし。


まあ、どんなメリットがあってもお金とかスタッフが足りない限り実現することもないだろうね。

MATSUI

2010年8月18日 読書 コメント (2)
努力しようのないことははどうにもならないから、努力することが可能なことの中で最大のパフォーマンスを出せるように努力する

みたいなことを松井秀喜が書いていた気がするけど、本当にそうなんだよなー、っていう実感が今になってじわじわとする。


悩んでも仕方がなくて、考えなきゃいけない。
考える。
そして答えを出して、とりあえずぶつからないことには意味がない。

でも悩んでいる時間も無駄ではなかったと思う。
悩んでいなければ分からなかったから。



書きたいことはたくさんあるのだけど、なかなか言葉が出てこない。

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