星の話や化石の話をする人にとって、2000年というのは一瞬の時間らしい。光はその間宇宙空間をずっと漂っているままだし、生き物もほとんど同じ形を保っているんだけど、それをすんなりと受け止められるのは、2000年という時間が私達にとって想像できないような、既に異物化した単位であるからに他ならない。
そう考えると、長くて100年程度の人間の一生は、8月の熱気がまだそこかしこに残ってる夜の公園で楽しむ線香花火の淡い光なのだろう。もしかすると、潮風の匂いとともに深青色の夜空に打ちあがる大きな光の輪なのかもしれない。
だからこそ、名前を残すことに価値を見出す人もいるのかもしれないが。
打ちあがった花火には、未来も過去も自分も分からないし、今が一番輝いてるなんてことも分からないのさ。
そう考えると、長くて100年程度の人間の一生は、8月の熱気がまだそこかしこに残ってる夜の公園で楽しむ線香花火の淡い光なのだろう。もしかすると、潮風の匂いとともに深青色の夜空に打ちあがる大きな光の輪なのかもしれない。
だからこそ、名前を残すことに価値を見出す人もいるのかもしれないが。
打ちあがった花火には、未来も過去も自分も分からないし、今が一番輝いてるなんてことも分からないのさ。
もうすぐ進学先が決まってキャンパスも変わるからか、近頃、周りの人と話していると、自然と将来の話になっちゃったりする。
将来何になるか。
当面は研究生活が続く理系の人よりも、就活が迫りつつある文系の人の方がそういう話題にセンシティブな気がする。
で、そんな人の一部に見られる現象として、なんか企画とかに参加して、気付いたら運営してて、飲み会で色紙を貰って泣いたりしながら「ありがとう」とか言っちゃって満足するなんてことがある。
完全にパッケージングされた流れ。きっとこれからも毎年、色んなところでこういうことはあるんだろうし、今までもあったに違いない。(と思ったんだけど、ちょっと前まではこういう企画はあんまりなかったらしい)
それはそれでいいことだと思うんだけど、あくまで学生の企画なんだし、そこで満足しすぎて力尽きちゃったら意味ないよね。別に満足感を覚えたかったら普通のサークルでも頑張ればいいし。あ、別に満足することを否定してるんじゃなくて。満足できるほど頑張るってのは直接将来のことを考える以上に大切だと思うし。
そうやって将来のことを考える為に動くんだったら、本当は、視野を広げたり、自分の中で気付きを得たり、自分なりのロールモデルを見つけ出して、実際に努力する方針が立って努力できるようになったことに満足したいよね。なんか、努力できることに満足、ってのも奇妙だけど。
なんかとりとめもない話になっちゃったな。
しかし、この論理もパッケージされてるような気がする。
将来何になるか。
当面は研究生活が続く理系の人よりも、就活が迫りつつある文系の人の方がそういう話題にセンシティブな気がする。
で、そんな人の一部に見られる現象として、なんか企画とかに参加して、気付いたら運営してて、飲み会で色紙を貰って泣いたりしながら「ありがとう」とか言っちゃって満足するなんてことがある。
完全にパッケージングされた流れ。きっとこれからも毎年、色んなところでこういうことはあるんだろうし、今までもあったに違いない。(と思ったんだけど、ちょっと前まではこういう企画はあんまりなかったらしい)
それはそれでいいことだと思うんだけど、あくまで学生の企画なんだし、そこで満足しすぎて力尽きちゃったら意味ないよね。別に満足感を覚えたかったら普通のサークルでも頑張ればいいし。あ、別に満足することを否定してるんじゃなくて。満足できるほど頑張るってのは直接将来のことを考える以上に大切だと思うし。
そうやって将来のことを考える為に動くんだったら、本当は、視野を広げたり、自分の中で気付きを得たり、自分なりのロールモデルを見つけ出して、実際に努力する方針が立って努力できるようになったことに満足したいよね。なんか、努力できることに満足、ってのも奇妙だけど。
なんかとりとめもない話になっちゃったな。
しかし、この論理もパッケージされてるような気がする。
来週はテストなのに力が出ない。オワタ
昨日話し合ったんだけど、次の演奏会の目標は「計画的に」とか「記憶に残る」というキーワードで行こうかと思います。
真剣に打ち込めるのも次が最後みたいなもんだし、それにしても時間が過ぎるのが早くて怖い。
昨日話し合ったんだけど、次の演奏会の目標は「計画的に」とか「記憶に残る」というキーワードで行こうかと思います。
真剣に打ち込めるのも次が最後みたいなもんだし、それにしても時間が過ぎるのが早くて怖い。
5月中旬にから6月にかけて、それまでそういう気配は出さなかったのに頑張っちゃう人が多くなる。
そういう流れは自分のコミュニティーだけだと思っていたけど、なんと別のコミュニティーでも同じ傾向があることが発覚。しかも倍。
違う大学の友達からもそういう話を聞く。不思議なものだ。
天気か何かに秘密があるんだろうか。
天気の話じゃなくて。
日本人の自殺者は年間30000人とも言われていて、対人口比率ではアメリカの2倍ぐらい、イギリスの3倍ぐらいである、ということは、正確なデータを集めたわけではないが、おおよそ知っている。
その理由を分析する時、多くの人が「希望を持てない」というような分析をする。
たしかに、希望を持てないからこそ自殺してしまうのだろう。それは当然だ。当然すぎて、どうすることもできない。
何故日本だけ自殺率が高いのか。
そういったことを考えた時、「日本では生活の中に宗教がないから」なのではないか、とふと思った。
具体的に言うと、「きっと神様が何とかしてくれるさ」みたいな安心感なんだろうと思う。
それは、冠婚葬祭の時だけ宗教観を取り戻すのではきっと分からないのだろう。
僕自身特定の宗教を深く信奉しているわけではないからあくまで推測の域を出ないんだけど、意外とそこに秘密はあるような気がする。
そんなことを思ったのは、日常に宗教がある生活というものを具体的に想像したことがなかったからだったり、これから、宗教がらみの用事があるからで。
そういう流れは自分のコミュニティーだけだと思っていたけど、なんと別のコミュニティーでも同じ傾向があることが発覚。しかも倍。
違う大学の友達からもそういう話を聞く。不思議なものだ。
天気か何かに秘密があるんだろうか。
天気の話じゃなくて。
日本人の自殺者は年間30000人とも言われていて、対人口比率ではアメリカの2倍ぐらい、イギリスの3倍ぐらいである、ということは、正確なデータを集めたわけではないが、おおよそ知っている。
その理由を分析する時、多くの人が「希望を持てない」というような分析をする。
たしかに、希望を持てないからこそ自殺してしまうのだろう。それは当然だ。当然すぎて、どうすることもできない。
何故日本だけ自殺率が高いのか。
そういったことを考えた時、「日本では生活の中に宗教がないから」なのではないか、とふと思った。
具体的に言うと、「きっと神様が何とかしてくれるさ」みたいな安心感なんだろうと思う。
それは、冠婚葬祭の時だけ宗教観を取り戻すのではきっと分からないのだろう。
僕自身特定の宗教を深く信奉しているわけではないからあくまで推測の域を出ないんだけど、意外とそこに秘密はあるような気がする。
そんなことを思ったのは、日常に宗教がある生活というものを具体的に想像したことがなかったからだったり、これから、宗教がらみの用事があるからで。
最近楽しいことや面白いこともたくさんある反面、本気で幻滅させられることもあった。
自分の言ってることとやってることをもっかい見直してみろよ。俺はあんたのために怒る気にもならない。
話題は変わり。
文化祭で、高校生向けのイベントの手伝いします。
インフルエンザで文化祭自体の雲行きが怪しいですが。
もともと自分が今居る大学に入った最初のきっかけはそこで先輩に色々アドバイスを受けたからだから、恩返しの意味も込めて。
「後輩に簡単に抜かれないようにするのが先輩としての礼儀」という言葉を聞くと、その時の先輩の偉大さが分かるようになってしまいました。
自分もそういう風になりたいです。
自分の言ってることとやってることをもっかい見直してみろよ。俺はあんたのために怒る気にもならない。
話題は変わり。
文化祭で、高校生向けのイベントの手伝いします。
インフルエンザで文化祭自体の雲行きが怪しいですが。
もともと自分が今居る大学に入った最初のきっかけはそこで先輩に色々アドバイスを受けたからだから、恩返しの意味も込めて。
「後輩に簡単に抜かれないようにするのが先輩としての礼儀」という言葉を聞くと、その時の先輩の偉大さが分かるようになってしまいました。
自分もそういう風になりたいです。
初修ラテン語の授業を取ってるんだけど、テキストも問題集も全てラテン語という仕様で、授業も
先生「Indicativusッテ日本語デナンデスカ?」
生徒「直説法です」
みたいな感じで、初修なのにレベルが高すぎる。ついていくのが相当しんどいというか勉強してないと明らかに詰む。
それでもやめる気にならない不思議。なんでだろうな。
先生「Indicativusッテ日本語デナンデスカ?」
生徒「直説法です」
みたいな感じで、初修なのにレベルが高すぎる。ついていくのが相当しんどいというか勉強してないと明らかに詰む。
それでもやめる気にならない不思議。なんでだろうな。
wktk / 受験数学
2009年3月17日 読書なんか、個人的にwktkするような事態がいくつも進んでるらしい。
うまくいってほしいし形になったら努力もするけど、まだ不明。
こないだは受験生時代の予備校の飲み会に出てきた。みんな浪人だったから法律を遵守して飲酒できたとさw
150人以上のクラスで15人ぐらい集まったので集まりはかなりよかったと思う。それも北は東北、北海道から南は四国まで、色んな場所の人が来た。
正直、浪人時代とかろくに人と絡まなかったので(というか高校の同級生やその知り合いと特定の演習仲間ぐらいとしか話さなかった)、果たして一年間同じ教室にいたけど一言も話さなかった人と何の話をしようか迷ったけど、女の子がかわいかったし、大学は違っても共感できることはかなり多かったしで楽しかった。「強制されないビールはおいしい」とかw
結局、日付が変わる直前まで飲んだ。同じ大学の同じクラスの奴が自爆してたが、無事に帰れたようだった。
受験がらみ。
こないだ合格発表に行ってきた。
受験生も多かったがサークル勧誘が多くてびっくりした。自分が受験生の時は気付かなかった。
それで受験のことを思い出したから、いい機会なんで数学の勉強の仕方をちょこっと。
受験数学の勉強とは「ものの見方を進歩させる」こと。
lnが分数関数の積分に見えたり、ax + by = 1という式がある条件の下ではam + bn = 0と関係のある式に見え別の条件の下では二次ベクトルの内積に見える。
やみくもに問題にあたれば、確かに色々な問題にあたることで解き方のバリエーションも増えたように思えますが、試験場で使えないと意味がありません。自分も現役の時、解法を増やすことばかりに執心したため、演習時間が確保できる以上の問題を解く勉強をしてしまったため、あまり効果が得られませんでした。
多数の解法を覚えるためには知識基盤を整理する(=ある程度典型的な型を理解して応用できるようにする)ことと、自分で解き方を見つけることが肝要です。特に、後者。直前期などに時間が少なくなると時間短縮のために解法を見るだけで終わらせてしまう人もいるかと思うけど、なるべく自分の力で解いた方がよいです。
長期的な勉強の流れの一例
1)まず教科書レベルの議論は全部分かるようにする。でも教科書単体だと分かりにくいから本屋で「すばらしくよくわかる」とか書いてある本を買ってきちんと理解&演習してもよい。
2)教科書併用の薄い問題集orチャート式の例題をやりこむ。「全部解けるようになった」だけでは不足で、問題を見た瞬間解法の流れとポイントが分かるようにする。
3)若干レベルの高めの問題集を使い、2)で身につけた基本的な解法を使って考える練習&(入試に出題されるという意味で)典型的な問題の解き方をひととおりおぼえる。おすすめは「プラチカ」シリーズ(特にⅢC)、「新スタンダード演習」。一回目は一問30分以上かかりそうならギブアップしてもよい、というか時間的にしないと厳しいかも。
「全部解けるようになった」だけでは不足で、問題を見た瞬間解法の流れとポイントが分かるようにする。
4)時間に余裕がある人、数学で点数を取らなければいけない人は「やさしい理系数学」「ハイレベル理系数学」「新数学演習」など、結構骨のある問題集をやるとよい。新数学演習は問題が古い、今の傾向と違う、解法にクセがありすぎる、などの意見もあるけど、解法は吸収する価値のあるものだし、現在あのレベルの演習ができる本がなかなかないと思います。マスターオブ整数などで分野別の対策をしてもいいし、ここは自分の好みで決めてよい。
5)時間を決めてテスト形式で演習する。制限時間は本当の試験時間の8割ぐらいが目安。穴埋め試験しか出ない人でも、記述の練習は多少しておいた方がよい。問題は志望校などの過去問、東大や京大の場合は模試の過去問などもよい。新数学演習みたいな1ページに多く問題が載ってるタイプの問題集の問題のページをコピーして全部切り貼りし、問題の分野が分からないようにして演習するなどしてもよい。
1)~4)で見方のレベルアップ、5)で更なるレベルアップ+アウトプットの練習です。
ただ、5)は1)~4)が終わってからではなく、3)か4)の段階ぐらいから徐々に織り交ぜていった方がいいです。週末に時間を作るとかして。
念のため断っておくと、この流れに沿って勉強してもうまくいく保証はありません。解けない問題はいつでもあると思います。でも、とてつもない天才以外の人が数学を出来るようになる過程は人によって差はあれど、みんなこんな感じなはずです。
大切なことは、自分で何が必要か判断し、それを自分に与えることです。受験数学に必要な要素はなんだかんだ言ってここにほぼ書き尽くしたと思います。
うまくいってほしいし形になったら努力もするけど、まだ不明。
こないだは受験生時代の予備校の飲み会に出てきた。みんな浪人だったから法律を遵守して飲酒できたとさw
150人以上のクラスで15人ぐらい集まったので集まりはかなりよかったと思う。それも北は東北、北海道から南は四国まで、色んな場所の人が来た。
正直、浪人時代とかろくに人と絡まなかったので(というか高校の同級生やその知り合いと特定の演習仲間ぐらいとしか話さなかった)、果たして一年間同じ教室にいたけど一言も話さなかった人と何の話をしようか迷ったけど、女の子がかわいかったし、大学は違っても共感できることはかなり多かったしで楽しかった。「強制されないビールはおいしい」とかw
結局、日付が変わる直前まで飲んだ。同じ大学の同じクラスの奴が自爆してたが、無事に帰れたようだった。
受験がらみ。
こないだ合格発表に行ってきた。
受験生も多かったがサークル勧誘が多くてびっくりした。自分が受験生の時は気付かなかった。
それで受験のことを思い出したから、いい機会なんで数学の勉強の仕方をちょこっと。
受験数学の勉強とは「ものの見方を進歩させる」こと。
lnが分数関数の積分に見えたり、ax + by = 1という式がある条件の下ではam + bn = 0と関係のある式に見え別の条件の下では二次ベクトルの内積に見える。
やみくもに問題にあたれば、確かに色々な問題にあたることで解き方のバリエーションも増えたように思えますが、試験場で使えないと意味がありません。自分も現役の時、解法を増やすことばかりに執心したため、演習時間が確保できる以上の問題を解く勉強をしてしまったため、あまり効果が得られませんでした。
多数の解法を覚えるためには知識基盤を整理する(=ある程度典型的な型を理解して応用できるようにする)ことと、自分で解き方を見つけることが肝要です。特に、後者。直前期などに時間が少なくなると時間短縮のために解法を見るだけで終わらせてしまう人もいるかと思うけど、なるべく自分の力で解いた方がよいです。
長期的な勉強の流れの一例
1)まず教科書レベルの議論は全部分かるようにする。でも教科書単体だと分かりにくいから本屋で「すばらしくよくわかる」とか書いてある本を買ってきちんと理解&演習してもよい。
2)教科書併用の薄い問題集orチャート式の例題をやりこむ。「全部解けるようになった」だけでは不足で、問題を見た瞬間解法の流れとポイントが分かるようにする。
3)若干レベルの高めの問題集を使い、2)で身につけた基本的な解法を使って考える練習&(入試に出題されるという意味で)典型的な問題の解き方をひととおりおぼえる。おすすめは「プラチカ」シリーズ(特にⅢC)、「新スタンダード演習」。一回目は一問30分以上かかりそうならギブアップしてもよい、というか時間的にしないと厳しいかも。
「全部解けるようになった」だけでは不足で、問題を見た瞬間解法の流れとポイントが分かるようにする。
4)時間に余裕がある人、数学で点数を取らなければいけない人は「やさしい理系数学」「ハイレベル理系数学」「新数学演習」など、結構骨のある問題集をやるとよい。新数学演習は問題が古い、今の傾向と違う、解法にクセがありすぎる、などの意見もあるけど、解法は吸収する価値のあるものだし、現在あのレベルの演習ができる本がなかなかないと思います。マスターオブ整数などで分野別の対策をしてもいいし、ここは自分の好みで決めてよい。
5)時間を決めてテスト形式で演習する。制限時間は本当の試験時間の8割ぐらいが目安。穴埋め試験しか出ない人でも、記述の練習は多少しておいた方がよい。問題は志望校などの過去問、東大や京大の場合は模試の過去問などもよい。新数学演習みたいな1ページに多く問題が載ってるタイプの問題集の問題のページをコピーして全部切り貼りし、問題の分野が分からないようにして演習するなどしてもよい。
1)~4)で見方のレベルアップ、5)で更なるレベルアップ+アウトプットの練習です。
ただ、5)は1)~4)が終わってからではなく、3)か4)の段階ぐらいから徐々に織り交ぜていった方がいいです。週末に時間を作るとかして。
念のため断っておくと、この流れに沿って勉強してもうまくいく保証はありません。解けない問題はいつでもあると思います。でも、とてつもない天才以外の人が数学を出来るようになる過程は人によって差はあれど、みんなこんな感じなはずです。
大切なことは、自分で何が必要か判断し、それを自分に与えることです。受験数学に必要な要素はなんだかんだ言ってここにほぼ書き尽くしたと思います。
ちょっと前に、おくりびとがアカデミー賞外国語映画部門グランプリを獲得したらしい。
納棺師という職業を見つけた時点で映画として勝ちだったという感は否めないことはさておき、複線をちゃんと拾って色々とリンクさせたり、笑えるシーンをきちんと作ったり、ローカルな雰囲気やチェロ独奏で世界観を見事に演出させたり、そして何より生命を題材に違った角度から切り込んだ素晴らしい映画だったんだけど、アカデミー賞外国語映画部門というのも素晴らしすぎる。
あのフェリーニのアマルコルドとかヴィットリオ・デシーカの自転車泥棒とかジャック・タチの僕の叔父さんとかフランソワ・トリュフォーのアメリカの夜とかアルモドヴァルのオールアバウトマイマザーとか、その他にも道とか男と女とか8 1/2とかニュー・シネマ・パラダイスとかデルス・ウザーラとかブリキの太鼓とか戦争と平和とか厳重に監視された列車とか、まだまだあるんだけどあんなにいい映画がたくさんグランプリを獲得している外国語映画部門!日本映画といえば黒澤明のイメージが強かったようだが、今回の受賞でちょっとイメージが変わるかもしれない。
最近の話。
演劇のレポートが終わり、無事スキーに行ってきた。カス麻雀とか飲みとか、短い期間の割に得たものも失ったものもあった、カオスな三日間だった。三角定規の30度ぐらいの斜面を体感した。パラレル出来る気がしない。帰ってきたらレポート受理された。努力が報われた感。
大学入試の前期試験が終わる。うちの大学の入試問題が出た。数学の問題を見ながら「この4問を取って残りは枝問をきっちり解いて部分点を狙う、それで90点かな」って言ったらちょっと驚かれた。でも妥当な点の取り方。
春休みはもっと勉強するつもり。まだまだ足りない。
あと、そろそろ免許取得の準備をする。
納棺師という職業を見つけた時点で映画として勝ちだったという感は否めないことはさておき、複線をちゃんと拾って色々とリンクさせたり、笑えるシーンをきちんと作ったり、ローカルな雰囲気やチェロ独奏で世界観を見事に演出させたり、そして何より生命を題材に違った角度から切り込んだ素晴らしい映画だったんだけど、アカデミー賞外国語映画部門というのも素晴らしすぎる。
あのフェリーニのアマルコルドとかヴィットリオ・デシーカの自転車泥棒とかジャック・タチの僕の叔父さんとかフランソワ・トリュフォーのアメリカの夜とかアルモドヴァルのオールアバウトマイマザーとか、その他にも道とか男と女とか8 1/2とかニュー・シネマ・パラダイスとかデルス・ウザーラとかブリキの太鼓とか戦争と平和とか厳重に監視された列車とか、まだまだあるんだけどあんなにいい映画がたくさんグランプリを獲得している外国語映画部門!日本映画といえば黒澤明のイメージが強かったようだが、今回の受賞でちょっとイメージが変わるかもしれない。
最近の話。
演劇のレポートが終わり、無事スキーに行ってきた。カス麻雀とか飲みとか、短い期間の割に得たものも失ったものもあった、カオスな三日間だった。三角定規の30度ぐらいの斜面を体感した。パラレル出来る気がしない。帰ってきたらレポート受理された。努力が報われた感。
大学入試の前期試験が終わる。うちの大学の入試問題が出た。数学の問題を見ながら「この4問を取って残りは枝問をきっちり解いて部分点を狙う、それで90点かな」って言ったらちょっと驚かれた。でも妥当な点の取り方。
春休みはもっと勉強するつもり。まだまだ足りない。
あと、そろそろ免許取得の準備をする。
もうタイトルだけで完結してるという、ね。
出した人は結構ラッキーだったと思う。
あと、同じ医学部がらみで別の話だけど、I科歯科が日本の国立大学で一番高い建築物を造ったらしい。
この大学といい、Yゼミといい、そんなにタワーが流行ってるのか。
出した人は結構ラッキーだったと思う。
あと、同じ医学部がらみで別の話だけど、I科歯科が日本の国立大学で一番高い建築物を造ったらしい。
この大学といい、Yゼミといい、そんなにタワーが流行ってるのか。
楽しかった!
「みんな同窓会ダブルブッキングしすぎだよww」
とか言いつつ、自分も昼と夜で別の集まりに行ってきた。
特に、夜の部。
まず、その日の朝、一緒に成人式行くために集まった時に初めて開催するって知る。
それくらい適当な集まりで30人ぐらいにしか連絡が回ってなかった。だから同窓会というほどのものではなかったんだけど。
まあ、そうすると何故か濃い人達ばっかりになってるっていうね。なんか全体的に高学歴が多かった。
お酒のきゃぱは元々全然無いんだけど、大学に入ってからジンを空けた後のリキュールで潰れたり、スコッチを一本空けたりしているうちにだいぶ飲めるようになったらしく、日本酒を飲んでも、麦ジュースとかジントニックをピッチャー飲みしても大丈夫だった。
みんな面白かった。約一名がいい意味でクズだった。別の約一名が変態だった。企画者が懐広かった。
あの小学校で本当によかったわー。
ある男の言葉
"死んでも友情は死なない"
「みんな同窓会ダブルブッキングしすぎだよww」
とか言いつつ、自分も昼と夜で別の集まりに行ってきた。
特に、夜の部。
まず、その日の朝、一緒に成人式行くために集まった時に初めて開催するって知る。
それくらい適当な集まりで30人ぐらいにしか連絡が回ってなかった。だから同窓会というほどのものではなかったんだけど。
まあ、そうすると何故か濃い人達ばっかりになってるっていうね。なんか全体的に高学歴が多かった。
お酒のきゃぱは元々全然無いんだけど、大学に入ってからジンを空けた後のリキュールで潰れたり、スコッチを一本空けたりしているうちにだいぶ飲めるようになったらしく、日本酒を飲んでも、麦ジュースとかジントニックをピッチャー飲みしても大丈夫だった。
みんな面白かった。約一名がいい意味でクズだった。別の約一名が変態だった。企画者が懐広かった。
あの小学校で本当によかったわー。
ある男の言葉
"死んでも友情は死なない"
プラトン『国家』 アリストテレス『ニコマコス倫理学』 ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』
ヘーゲル『精神現象学』 デカルト『省察』 パスカル『パンセ』 ライプニッツ『単子論』
カント『純粋理性批判』 キェルケゴール『死に至る病』 バーク『フランス革命の省察』
ジェイムズ『宗教的経験の諸相』 ニーチェ『道徳の系譜』 ベーコン『ノヴム・オルガヌム』
フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』 メルロ=ポンティ『知覚の現象学』
ハイデッガー『存在と時間』 アーレント『精神の生活』 ヨナス『責任という原理』
サルトル『存在と無』 ベルグソン『時間と自由』 ミンコフスキー『生きられる時間』 レヴィナス『全体性と無限』
フロイト『快感原則の彼岸』 ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』
フォーダー『精神のモジュール形式』 ヤスパース『精神病理学総論』 エレンベルガー『無意識の発見』
ラカン『精神分析の四基本概念』 フーコー『言葉と物』 ソシュール『一般言語学講義』
ヴェイユ『重力と恩寵』 ディルタイ『精神科学序説』 ブーバー『我と汝・対話』 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
ミンスキー『心の社会』 ライル『心の概念』 バタイユ『エロティシズム』 アガンベン『ホモ・サケル』
ラッセル『西洋哲学史』
ルソー『社会契約論』 スピノザ『エチカ』 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
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ボルツ『グーテンベルク銀河系の終焉』 キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』
15 :考える名無しさん:2008/07/23(水) 10:26:43 0
プラトン『国家』 →「国家」なんか選ぶのは、プラトンを読んだこともない(が読まなきゃならないとでも誰かに吹き込まれた)輩だろう。退屈。せめて修羅場のある「饗宴」か、ソクラテスの悪意とカルリクレスの腕力とが炸裂する「ゴルギアス」をお勧めする。
アリストテレス『形而上学』 →単なる講義ノート。しかも出来の悪い。アリストテレス&ヒズ・ブラザーズによる『問題集』に差し替え。
ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 →くだらない。削除。
ヘーゲル『精神現象学』 →「法の哲学」に差し替え
デカルト『省察』 →必読書150とかの回し者か。「精神指導の規則」に差し替え。
パスカル『パンセ』 →モンティーニュを読む方が先だ。
ライプニッツ『単子論』 →せめて「モナドロジー」と呼べ
カント『純粋理性批判』 →読めもしないくせに「批判」か出すな。「啓蒙について」に差しかえ。
キルケゴール『不安の概念』 →ボツ。「現代の批判」に差し替え。
スピノザ『エチカ』 →「神学政治論」に差し替え。
ルソー『社会契約論』 →「エミール」に差し替えたのちに、クズ籠へ。
バーク『フランス革命の省察』 →保守反動。読む価値なし。まだしもトクヴィル「旧体制と大革命」。ツヴァイク「ロシェ・フーシェ」でも可能。
ジェイムズ『宗教経験の諸相』 →「宗教的経験の諸相」。だが読むならデュルケム「宗教生活の原初形態」が先。
ニーチェ『権力への意志』 →妹によるバッタモンの編集本。捨てろ。『善悪の彼岸』『道徳の系譜』
フッサール『論理学研究』 →読めるわけがない。「幾何学の起源」(デリダの長い長い序文付き)か「内的時間意識の現象学」へ。
Study nature, not books///
ヘーゲル『精神現象学』 デカルト『省察』 パスカル『パンセ』 ライプニッツ『単子論』
カント『純粋理性批判』 キェルケゴール『死に至る病』 バーク『フランス革命の省察』
ジェイムズ『宗教的経験の諸相』 ニーチェ『道徳の系譜』 ベーコン『ノヴム・オルガヌム』
フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』 メルロ=ポンティ『知覚の現象学』
ハイデッガー『存在と時間』 アーレント『精神の生活』 ヨナス『責任という原理』
サルトル『存在と無』 ベルグソン『時間と自由』 ミンコフスキー『生きられる時間』 レヴィナス『全体性と無限』
フロイト『快感原則の彼岸』 ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』
フォーダー『精神のモジュール形式』 ヤスパース『精神病理学総論』 エレンベルガー『無意識の発見』
ラカン『精神分析の四基本概念』 フーコー『言葉と物』 ソシュール『一般言語学講義』
ヴェイユ『重力と恩寵』 ディルタイ『精神科学序説』 ブーバー『我と汝・対話』 ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』
ミンスキー『心の社会』 ライル『心の概念』 バタイユ『エロティシズム』 アガンベン『ホモ・サケル』
ラッセル『西洋哲学史』
ルソー『社会契約論』 スピノザ『エチカ』 ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
リップマン『世論』 オルテガ『大衆の反逆』 マンハイム『イデオロギーとユートピア』 フロム『自由からの逃走』
ミルズ『パワーエリート』 リースマン『孤独な群衆』 パーソンズ『社会的行為の構造』 デュルケム『自殺論』
イリイチ『シャドウ・ワーク』 M・ポランニー『暗黙知の次元』 バレーラ、マトゥラーナ『知恵の樹』
ルーマン『社会システム理論』 ブルーム『アメリカン・マインドの終焉』 シオラン『歴史とユートピア』
ハバーマス『晩期資本主義における正統化の諸問題』 ロールズ『正義論』 ブルデュー『ディスタンクシオン』
オング『声の文化と文字の文化』 アドルノ&ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』 フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』
サイード『オリエンタリズム』 ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』 アンダーソン『想像の共同体』
シンガー『実践の倫理』 マッキンタイア『美徳なき時代』 ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』 カイヨワ『遊びと人間』
フレイザー『金枝篇』 モース『社会学と人類学』 レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』 ギアツ『文化の解釈学』
キャンベル『千の顔をもつ英雄』 ブローデル『地中海』 ウォーラーステイン『近代世界システム』
クラウゼヴィッツ『戦争論』 アダム・スミス『国富論』 ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』
ベンタム『道徳と立法の原理序説』 ミル『自由論』 マルクス『資本論』 アルチュセール『資本論を読む』
シュンペーター『経済発展の理論』 フリードマン『資本主義と自由』 ハイエク『法・立法・自由』
ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』 ヴェブレン『有閑階級の理論』 ポランニー『大転換』
ボードリヤール『消費社会の神話と構造』 セン『貧困と飢饉』 ベル『資本主義の文化的矛盾』
ドラッカー『「経済人」の終わり』 サイモン『経営行動』 ギデンズ『近代とはいかなる時代か』
ホワイトヘッド『過程と実在』 クリプキ『名指しと必然性』 ポパー『推測と反駁』 クーン『科学革命の構造』
ラカトシュ『方法の擁護』 デイヴィドソン『真理と解釈』 パトナム『事実/価値二分法の崩壊』
ベイトソン『精神の生態学』 ベンヤミン『パサージュ論』 デリダ『法の力』 リクール『時間と物語』
ペンフィールド『脳と心の正体』 スローターダイク『シニカル理性批判』 シュミット『政治神学』
ダール『ポリアーキー』 ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトクライス』 チョムスキー『文法理論の諸相』
ヴィゴツキー『思考と言語』 パノフスキー『イコノロジー研究』 ソンタグ『反解釈』 ウィルソン『生命の多様性』
ドーキンス『利己的な遺伝子』 ギブソン『生態学的視覚論』 ケストラー『機械の中の幽霊』
ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』 イーザー『行為としての読書』 イーグルトン『文学とは何か』
ホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ』 ド・マン『ロマン主義のレトリック』 ブランショ『文学空間』
ガダマー『真理と方法』 ローティ『哲学と自然の鏡』 セラーズ『経験論と心の哲学』 レイコフ『認知意味論』
ダマシオ『生存する脳』 クワイン『ことばと対象』 アウエルバッハ『ミメーシス』 ミード『西洋近代思想史』
ネグリ『構成的権力』 クリステヴァ『詩的言語の革命』 ランシエール『不和あるいは了解なき了解』
クリシュナムルティ『生と覚醒のコメンタリー』 バルト『エクリチュールの零度』 マクルーハン『メディア論』
ボルツ『グーテンベルク銀河系の終焉』 キットラー『グラモフォン・フィルム・タイプライター』
15 :考える名無しさん:2008/07/23(水) 10:26:43 0
プラトン『国家』 →「国家」なんか選ぶのは、プラトンを読んだこともない(が読まなきゃならないとでも誰かに吹き込まれた)輩だろう。退屈。せめて修羅場のある「饗宴」か、ソクラテスの悪意とカルリクレスの腕力とが炸裂する「ゴルギアス」をお勧めする。
アリストテレス『形而上学』 →単なる講義ノート。しかも出来の悪い。アリストテレス&ヒズ・ブラザーズによる『問題集』に差し替え。
ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 →くだらない。削除。
ヘーゲル『精神現象学』 →「法の哲学」に差し替え
デカルト『省察』 →必読書150とかの回し者か。「精神指導の規則」に差し替え。
パスカル『パンセ』 →モンティーニュを読む方が先だ。
ライプニッツ『単子論』 →せめて「モナドロジー」と呼べ
カント『純粋理性批判』 →読めもしないくせに「批判」か出すな。「啓蒙について」に差しかえ。
キルケゴール『不安の概念』 →ボツ。「現代の批判」に差し替え。
スピノザ『エチカ』 →「神学政治論」に差し替え。
ルソー『社会契約論』 →「エミール」に差し替えたのちに、クズ籠へ。
バーク『フランス革命の省察』 →保守反動。読む価値なし。まだしもトクヴィル「旧体制と大革命」。ツヴァイク「ロシェ・フーシェ」でも可能。
ジェイムズ『宗教経験の諸相』 →「宗教的経験の諸相」。だが読むならデュルケム「宗教生活の原初形態」が先。
ニーチェ『権力への意志』 →妹によるバッタモンの編集本。捨てろ。『善悪の彼岸』『道徳の系譜』
フッサール『論理学研究』 →読めるわけがない。「幾何学の起源」(デリダの長い長い序文付き)か「内的時間意識の現象学」へ。
Study nature, not books///
小学校の同窓会の写真を手に入れた。
全体写真。
19やら20やらの大人がエグザイルのchoochootrainの真似をしようとしてる。
アホだ。
今度はクラスで写真を撮る。
卒業した時にクラス全員で撮った写真があって、それと全く同じ位置に人を配置しようと誰かが言い出した。
そして、写真を見ると……5人ぐらいで縦に並んでトーテムポールみたいになっていた。
体勢を工夫しようとしてスクワット状態になる。
アホだ。
でも、半分ぐらい社会人になっても、こんなバカなことをやってられたあの日は、時間が止まったみたいで楽しかった。
全体写真。
19やら20やらの大人がエグザイルのchoochootrainの真似をしようとしてる。
アホだ。
今度はクラスで写真を撮る。
卒業した時にクラス全員で撮った写真があって、それと全く同じ位置に人を配置しようと誰かが言い出した。
そして、写真を見ると……5人ぐらいで縦に並んでトーテムポールみたいになっていた。
体勢を工夫しようとしてスクワット状態になる。
アホだ。
でも、半分ぐらい社会人になっても、こんなバカなことをやってられたあの日は、時間が止まったみたいで楽しかった。
最近、かなり自主練習を増やしてみたら、意外といい感じに。
何事もそういう努力しないとどうにもならないよね。
果たして新年
迎える頃には
何がどうなる
それが興味
何事もそういう努力しないとどうにもならないよね。
果たして新年
迎える頃には
何がどうなる
それが興味
最近、音楽に対する気持ちが再び点灯しはじめました。スイッチオン。
昔とはちょっと違うんだけど。流石に成長しました。
ただ、練習がわりと疎かになってたんで、自分の演奏にあんまり満足いってません。
なんだかうまくいかないね。
昔とはちょっと違うんだけど。流石に成長しました。
ただ、練習がわりと疎かになってたんで、自分の演奏にあんまり満足いってません。
なんだかうまくいかないね。
この前、大学内で順番待ちしなきゃいけない用事があって、寒空の中建物の前で並んでたんよ。
そしたら、前に並んでた子が偶然となりのクラスで、ちょっと仲良くなって1時間ぐらいバンドとか地元の話で盛り上がった。
香川の人で、東京のうどんと学食のうどんについて熱く語らってたw
そんな話をしていて気付いたんだけど、やっぱりバンドやりたいわ。
別にクラシック嫌いとかそういうんじゃなくて。クラシック関係ない。
もしかすると、単に音楽で盛り上がりたいだけなのかもね。
エンドルフィン中毒みたいな。
学園祭だなぁ。
そしたら、前に並んでた子が偶然となりのクラスで、ちょっと仲良くなって1時間ぐらいバンドとか地元の話で盛り上がった。
香川の人で、東京のうどんと学食のうどんについて熱く語らってたw
そんな話をしていて気付いたんだけど、やっぱりバンドやりたいわ。
別にクラシック嫌いとかそういうんじゃなくて。クラシック関係ない。
もしかすると、単に音楽で盛り上がりたいだけなのかもね。
エンドルフィン中毒みたいな。
学園祭だなぁ。
どんな思いも、表現しなければそれは存在しなかったのと何ら変わりない。
そう思うからこそ、表現芸術をやりたいと思うわけです。
でも、その反面、本当に思っていることは表現しようと意図しなくても伝わってしまうものです。
そうも思っている自分も、ここにいます。
逆に、そう思うゆえにより一層、そっちの方を向いてしまうのです。
そう思うからこそ、表現芸術をやりたいと思うわけです。
でも、その反面、本当に思っていることは表現しようと意図しなくても伝わってしまうものです。
そうも思っている自分も、ここにいます。
逆に、そう思うゆえにより一層、そっちの方を向いてしまうのです。